2018年5月27日日曜日

ラベンダー

荒れる息子を連れて近所を歩いていたら、個人で園芸市を開いている方がいて、片手で抱えられるくらいのラベンダーの鉢を買った。九〇〇円也。荒れている息子の顔に葉を持っていくと「あ、いいにおい」とそっと目を閉じた。

声が出なくなって三日目である。かすれ声も出ないので、息子はストレスがたまっている。私は存外、つらくない。喉も痛くないし、咳も出ない。ただ、ずっと、内緒話しているような感じが続いているため、息子を含む周りの方が大変そうである。ただ、声が出ないと、余計なことを言わなくて済む。

荒れる息子は荒れ放題の部屋の真ん中で眠ってしまった。玄関に置いたままのラベンダーの鉢を、どすこい、ベランダに移動。かすかにかすかに、ラベンダーの香りが部屋に吹き込んでくる。名も知らぬ鳥が、ちやちやちやちや、鳴いている。

図書館で借りた『ゾミア 脱国家の世界史』がひどく面白い。「最も急で険しい場所はつねに自由の避難先であった」という一文。私の周りはどこも平坦で安穏としている。この、赤く、厚く、重い本を開いては閉じ、開いては閉じて、休日の午後は過ぎていく。

数ヶ月前から、漠然とした不安にヤられ、婦人科や心療内科を受診して、あれこれ相談したのだが、更年期でもなく甲状腺異常でもなくその他の病気でもなく、結局のところ、私の不安は体力のなさに由縁するのかもしれない。飲酒の後、体調が悪い時、季節の変わり目、低気圧、エトセトラエトセトラ。不安。どわどわっと押し寄せる、不安、澱のように残る不安。Fishmansの曲には時どき「不安」という単語が出てきたな、と、葱を切り切り思い出す。『バックビートにのっかって』や『幸せ者』……「この世の不幸はすべての不安」。あの頃は「そんなこともあるだろう」くらいに思っていたけれど、今は解る。ぼんやりとした、とりとめもない、しかし確実な手応えのある感情、不安。粘っこく、どこまでもつきまとう。

すいっと起きた息子を連れ、家から少し離れた業務スーパーへ。夕方の車は荒い。突然ぎゅいんと曲がってくるのだ。「ここいらの車の運転は荒い。気をつけなくちゃダメよう」とスーパーの駐車場の警備員さんが言う。でっかいスイカの切り身を抱えた息子と私は、はぁ、と気のない返事をして通り過ぎる。スーパーから50mほど先にある整形外科の前にくちなしが咲いている。のったりと重い香りを振りまいている。白い。どこまでも白い、その中に、蟻が一匹。花びらのふちはかすかに茶ばんでいて、かなしい。2人して匂いを嗅ぐ。甘ったるい。鼻から吸って、口から甘い息を放出する。そこから、さらに50mほど歩くと、立派な琵琶の木がある。深緑の葉の中に、橙色の琵琶がたわわ。束になっている16の娘みたい。お尻がちょっとくすんでいて、エロい。「地球の夕焼けは美しいなぁ」ー琵琶の木の向こうの空を見上げ、メトロン星人の真似をして、息子がつぶやいた。この人と一緒にいるときは、ちっとも不安じゃないのだ。確かに、地球の夕焼けは美しい。

薄暗い家に帰る。荒れた息子は、どういうわけか、気を取り直したかのように、ご機嫌である。開け放たれた窓から、うっすら、ラベンダーの香り。勢いよく雨戸を開け、茎を花に押し当てる。花言葉は、「devotion」「silence」「distruct」。不安とうまくつきあっていけるかな。私も「最も急で険しい場所」へ避難したい。
もうすぐ、夜がくる。

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