2018年5月18日金曜日

地球に住む

晴天の、横浜へ行った。
せっかくだから、と、ゆらゆら中華街へ行ってみる。
サラリーマンには見えないスーツの人、修学旅行生、インド人、中国人、あつあつカップル、まぶたのような涙袋を持つ老婆、甘栗を配る人、がっつり刺青の男、かかとの汚れた女、パンダのぬいぐるみ、きくらげ、烏龍茶、漢字でおしゃべりするノンタン、肉まんのふかし上がる匂い、湯気、手相、子供用カンフースーツ上下二千三百円、食べ放題三千八百円。

人通りが少ない通りの、画数が少ない名前の店に入った。独り客にきびしい店なのであった。ランチメニューは頼むまで来ない(頼んだら、ぺらぺらのカードケースに入った手書きのメニューをくれた)。水餃子のランチを注文。手を洗いに行っている間に(つまり、あっという間に)テーブルの上には、山盛りのご飯、たまごスープ、ザーサイ四切れほど、フルーツ寒天、水、が五目ならべみたいに並んでいた。私の水餃子が来るまで、向かいのテーブルの男は、ビールジョッキで二杯、焼酎水割りを飲み終えた。店員さんは飲酒しているお客に優しい。連れの女は「焼酎、この人に。水割りでね」「このお椀に氷だけちょうだい」「お皿替えて」などと甲斐甲斐しい。二人とも酔って、ねっとりと見つめ合い、会話している。恋愛しているんだなぁと思う。隣の大学生も独り客だが、「(ナントカ)麺と、水餃子単品でください」とメニューも開かずに注文。その隣は、抱っこ紐に赤ん坊を抱いた母親2人が向かい合って、あれこれ食べていた。
私のご飯は、こぱこぱと表面が固まり始めた、そんなご飯なのである。みんなランチを注文しないのは、こういうわけなのかしらん。ザーサイでちょびちょびご飯を食べていたところに、水餃子が「オマチドーサマー 」とやってきた。割り箸から離れない米粒を急ぎ食べ尽くし、箸をきれいにしてから、ぷるぷるの水餃子を専用のタレで食べた。タレはココナッツの風味がして、美味であった。七五六円也。

そこからそう遠くない劇場で演劇を見る。隣の席の中年女性二人組(私も同じ中年であるが)が「(ナントカ)っていうミュージカル、見た?あの俳優、歌がどんどん下手になってる。気がつかないのかな。魅力もなくなってる」と身も蓋もないことを話し合っている。誰のことを言ってるかはわからないが、「東宝系にもう出ない。やっぱそうなるよね」とか、何だかおそろしい話をしている。何様なんだ。これから演劇見るのに、二人とも、携帯電話をふくふくの左手でぎっしり握りしめている。

開演。若い俳優さんがのたのた歩いて登場する。そういう役回りなのかもしれないが、誰ひとり、なんというか、「実(じつ)」を感じない。そこへ、ある女優さんがゆっくり歩いて眼前に現れた。その人が登場するとたちまち空気が変わって、その人が発声した瞬間、泣きそうになった。びっくり。存在が、どっしりと濃厚。でも、めっちゃポップ。そうこうしているうち、他の俳優さんたちは、彼女の前で力を発揮しようと頑張っているように見えてくる。演劇がどうとか、そういうのは置いておいて、すばらしいと思う。すさまじき存在に対する反応として、まっとうな反応だ。そう思う。ファンというわけではなかったのに、この人のこと、一気に好きになってしまった。演出家が想定していた以上の仕事を、この人はした。いや、それ以上に、この舞台のすべて、この人がまるで嵐のようにかっさらってしまった。カーテンコールでこの人は誰よりも疲弊していて、それを隠さず、清々しかった。この人。

20年くらい前、レコード店で働いていた頃、閉店間際、この人がCDを探しにやってきた。私がこんなのあります、とCDを差し出すと、曲のタイトルを読み上げ、小さな声で少し歌う。これもあれも入ってる、と嬉しそうだった。閉店時刻を少し回って、そのCD(朱色の古びたデザインのジャケットだった)を手に帰って行った。吉本ばななの小説『ある体験』で、主人公が泥酔してベッドに倒れ込むと聞こえる歌声は、こんなんじゃないかと思った。

演劇が終わり、大急ぎで息子を迎えに行く。タイトスカートの脚のネイビーのストッキングを息子は「これなに」と、そっと撫ぜた。引っ張ってみな、と言うと、親指と人差し指でつまみ、「おおのびる」と喜び、「きょうおかあさん、オシャレしてるね」としみじみ言った。帰り道、高速道路をのぞく人気のない砂利道にさしかかると、「おかーぴおん(私のこと)、ねえ、ずっと地球に住むの?」と言う。「どっか住みたい星とかあるの?」と聞くと、じっと黙り「うーん、……ま、地球でいっかぁ」と笑った。「地球って回ってる。どうして」。いつ、そんなことを知ったのか。私たちの右側、白いコンクリートの壁、その中で車が高速で走り、去って行く。

こぱこぱのご飯、べたべたの恋愛、水餃子、目の前で人間が何かしてくれるそれを見る喜び、人間の哀しみ、かわいらしさ、醜さ、悪意、何にもなさ、絶望と希望、音楽、汚れた白いスニーカー、今日は天気が良くて公園の人たちがみんな気持ちよさそうだったな。
いろいろごたごたあったりもするけれど、まだまだ地球に住もうよ。いいじゃん。

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