2018年4月29日日曜日

それぞれの、宇宙

もやもやしているのである。

もう書かないと決めていたんだけど。実は。

誰に向かって書いているのだ私は、と自問自答して、そこに誰もいない、と判って、書かなくていいんじゃないかと思ったんだけど、そこに誰もいないのならば、書いてもいいのではないかとも思う。

ゆらゆらしているのである。

1週間ほど前、息子と夕飯を食べていて、どういうことからかは忘れたが、「男の子と女の子」の話になった。

私「見た目、男の子だけど、中身、女の子っていう人もいる。その逆もある。つまり、いろいろな人がいるってこと」
息子「お母さんは?」
私「私、見た目、女の人ってことでいい?(息子、頷く)お母さんは中身も女の人だよ」
息子「ぼくもだよ!」
私「へー、そうなんだね」
すると、彼は、少し黙って、考えている様子で、
「いや、ちょっと待てよ」
ご飯を食べる手を止め、しばしじっとしていた。
「おおかたは男の子だけど、少し女の子、あるね」

その発言に私はえらく感動した。
歴史的瞬間に立ち会っているような、怖れさえ感じた。
3才9ヶ月が、自らの内面について語っているのである。ただただ傾聴したい気分だ。

私「どんな時、女の子だって感じるの?」
息子「かなしくなった時。泣いちゃいそうな時かな」

ん?待てよ。この子は外で、男の子だから泣いちゃいかん、と言われたことがあるんだな、と直感した。男の子=泣いちゃダメ、じゃ、女の子はいいのか、というところからきている発言のように思えた。こうやって、男の子たる男の子、女の子たる女の子はつくられていくんだな。そこからはみ出ちゃだめなのか。いや、いいんじゃないか。
「あのさぁ、言っとくけど、女の子の方が強いからね」と余計なことを言って、食事の時間は終わった。

数日後、ブルーノートにヤン富田さんの公演を観に行った。
うんと酔っぱらった時に目を閉じると、体が猛スピードで上昇し落下するような感覚を覚えることがあって、さして飲酒していないのにも関わらず、この夜、そんな風に感じる瞬間があった。思い浮かんだことを言葉にすれば、するりと手をすり抜けていくようで、しかし一方で、感じたことは言葉を払いのけ、重たく内に残る。客席は皆、フツーに見てるだけのように見えるけど、それぞれがそれぞれのからだの輪郭の内側にあれこれを渦巻かせているんだ。すさまじ。

ショウが終わって表にでる。私の血はきらきらと輝き、ぐんと視力が良くなったような気がした。客席で肩を並べていた「宇宙」の皆さんも、私と同じように軽やかに、青山の街へまぎれて行った。
男とか女とか、それ以外とか、それらのどれでもないとか、声高に主張したり悩んだりせずとも、こころ明るく生きれる未来が、平等に来ればいい。信号待ちの路上で、そう思い、強く願った。完全に解明できないからこそ、宇宙を知ろうと思う。宇宙はここに、そこに在る、それだけでいいのだ。
からだは重力に作用されずに軽く、ミニスカートの裾だけが風に揺れた。どこまでも歩いて行けそうだった。

放映中の仮面ライダーの登場人物の一人が、どうやら人間ではないらしいことが判明した。
「(人間ではないらしい仮面ライダーの相棒が)かなしんでるねえ悩んでるねえ」と息子が言う。
「いいじゃない、宇宙人だって。友達なんでしょ。大した問題じゃないじゃない」と返したら、なんだか励まされたような気になって、私は、よく灼けた畳の上に散乱するウルトラマンやウルトラ怪獣たちとともに、ごろりと横になった。


ー滅びの力の外へ出て、自由を肯定せよ。
 エントロピーを否定せよ。
 その真実を否定せよ。

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