2017年7月16日日曜日

蜘蛛

いま、ソファの上で2本の脚を束ねて座る私の下を、一匹の蜘蛛が歩いて行った。飴色の蜘蛛。丸っこい体で、冷えた床を滑るように歩いて行った。

東京駅から高速バスに乗って、DIC川村記念美術館へ行ってきた。開催中の展覧会『静かに狂う眼差し』を見るためである。私は近づいたり離れたり通り過ぎたり振り返ったりしながら、見た。概要に「DIC川村記念美術館の所蔵作品を新たな視点でご紹介する」とあり、展示作品はすべて収蔵作品らしい。いつもは「ひとつ」「ひとつ」の作品、もしくは連作作品として収蔵されているそれらが、『静かに狂う眼差し』というテーマのもと、林道郎さんにより、部屋に集められていた。目に入れながら、編集、という言葉が浮かんだ。すばらしい「編集」だと感心した。作品の魅力がより際立つように、伝わるように工夫がされているのだと感心した。

一本の線、たくさんの線、細い線太い線、藍色に塗られたプレート、赤く塗られたキャンバス、凡庸な風景写真を使ったコラージュ、コンクリートの上の円、ドアの裏に逆さまに貼られたステッカー。「それだけ」なのに、胸を打たれるのはどういうわけだろう。

順路をたどり、いくつか目の部屋で、ジョセフ・コーネルの箱を見たとき、私は内から不思議な勇気が湧いてくるのを感じた。決して大きくはない木箱の中には、写真の切り抜きや、蝶、小さなグラスや貝などが入れられていた。孤独のうちに一生を終えたと言われている男の、箱。私はそれらをそっけないふうに覗き込みながら、鎖骨の下あたりからびりびりしびれるような感覚でいた。私は箱の中に、ほぼ条件反射的に、「ストーリー」を見出そうととしていた。いや、そうすることは自由である。悪いことでもない。しかし昨日今日と『人はなぜ物語を求めるのか』(千野帽子著/ちくまプリマー新書)を読んでいたからか、ぼうっと浮かびつつ頭を支配する「ストーリー」を振り払ってみたくなった。ただの透明な容器になりたかった。しかし、それはとても難しかった。圧倒的な魅力を放つ作品群の前、おまえには支配されんぞとばかり、私は振り払っても叩いても出てくる「ストーリー」と格闘していた。そうしている自分を、もう一人の自分が右斜め上からじっと見ているようであった。ー見ること、見られること。

美術館から外へ出ると、むせかえるような暑さであった。目の前の大きな池を白鳥が横切っていった。「芸術の力というのは、わたしたちを目覚めさせ、徹底的に衝撃を与え、変化させる力だと思う。」というジュンパ・ラヒリの文章を思い出した。わざわざ行ってよかった。自分にも何かできるんじゃないか、と思えた。特別なことじゃなくて、日常生活で。

蜘蛛はソファの下へ入り、どこかへ行ってしまった。

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