2017年4月9日日曜日

手を借りる

先週から徐々に、疲れが私の体の内側にどんどん溜まっていき、こびりついたように硬くなって、ついには毒素を放出しているように感じた。苦しくて、つらかった。

昨年2月、ヨガを始めてから、自分が肩に力が入りやすいことに気がついた。食事している時とか、本を読んでいる時とか、電車で立っている時とか。意識的に力を抜くようにしたら、以前より肩こりしなくなった。しかし、ここ数日の私は、ガッチガチに肩に力が入りまくり、呼吸が浅かった。こういう時、体と心が結びついていることを実感する。間もなく、私は気持ちにも余裕がなくなった(しかし、そういう時の方が、上手にたくさん商品を売れる。なぜだろう?ものすごく疲れるけど…)。そういう私に、息子は気を使ったり、やたら甘えたり、保育園で頑張っている分だけ荒れたりした。毎日、新学期センシティヴで歩かなくなった約15kgの息子(+自分と息子、それぞれの荷物)を抱っこして帰るのも、かなりキツかった。すべてが面倒くさかった。暗い気分に浸るのは、けっこう気持ちいい。じっと浸っているのもいい。もし、私がひとりなら。

昨日の朝、ソファに座って、もう、何もする気がしなかった。これはいかん。何とかせんといかん。ようやっと息子を登園させ、私は決意した。そして、上司に欠勤の連絡を入れた。

この心身の疲労と消耗は、もう、人の手を借りないことにはどうにもならないということを、私は直感していた。「手を借りる」とは、髪を切るとかマッサージとか、要するに私の体に直に触れて、手をかけてもらうことである。子供の頃、いじめっ子の男の子の手を、私の妹がただ握っただけで、その子が翌日からいじめっ子ではなくなったことも、そう言えば、あった。人ではないけれど、毎日、同じ欅の大木に抱きついて、鬱っぽい状態から立ち直ったこともあった。他人の手を借りたり、何かに触れて、人は時に立ち直る、ということを私は知っている(「手当て」とはよく言ったものである)。
今回の疲労の原因は複数あり、絡まり合っていて、根強い。それで、私が通っているヨガスタジオの中の、タイヨガマッサージに行ってみることにした。オススメの、「4月限定 タイヨガ+オイルネック&ヘッド 130分 ¥9,800」というのを予約。迷っている暇はない。えーい、奮発である。

いつものヨガスタジオの横のお部屋。扉を開けると、チャーミングな装飾の付いた水場、その周りに植物がたくさん。極めて静かに、鳥の鳴き声とガムランみたいな金物の音楽。入って左手、カーテンの仕切りの向こうの薄暗いお部屋に案内される。中には、敷布団みたいなマットが一枚、敷いてある。備え付けのヨガウェアに着替えたら、セラピストのおねえさんを横になって待つよう言われた。カーテンの向こうから、水の音。妙にどきどきする。好きな男の子の部屋に思いがけず泊まることになった、みたいな。そういう時のこういう気持ちは、私の人生にはもう起こりえないと思っていたよ。そんな私の心知らず、セラピストさんは、まず足湯をしてくださった。あー、なんか、なんか、毛穴からドロドロした暗い色の臭い液体が浸み出てきそう。

タイヨガマッサージは「ふたりヨガ」と呼ばれることもある、2500年くらい歴史がある伝統技らしい。なるほど、ふつうのマッサージとは違って、組手みたいな技をセラピストさんが掛けてくる。横になっている時は目隠しをされているので、何がどうなっているか定かではないが、セラピストさんの体のどこかに私の足裏が当てられ深く屈伸させられたり、セラピストさんの太ももに体を預けるかたちで側屈したり、有難いことこの上ない。セラピストさんの手は常に熱い。その手が私の凝り固まった冷たい体に触れ、押してくる。施術が始まってすぐ、私の内臓がグニュグニュと音を発し始めた。「すいません、なんか、おなかが、音鳴っちゃいますね」と私が申し訳なく言うと、「呼吸が深くなると、横隔膜が動いて、内臓も動いてきますよ」と教えてくれた。結局、私の内臓は130分間、グニュグニュ言っていた。なんて、正直な反応。そして、頭の中は、いろいろな情景、思考、(良いことではない)、はんぶん夢みたいな、走馬灯ってこんな感じだろうか、次々に断片が現れ、消えていく、そこに体の反応がある、気持ちいいとか痛いとか、温かいとか寒いとか。目を閉じると、下の方が白っぽく明るく感じる。目を開けると、目隠しで、本当は暗かった。

施術が終わり、向かい合い、合掌してご挨拶。130分、あっという間である。「あの、大丈夫でした?」と、私は、セラピストさんにずずいと近づいた。「??」「私、毒素で体の中がいっぱいって感じだったのが、スーッとなくなったから。その、そっちに行ってないですか?疲れてないですか?」「あはははー、大丈夫ですよ。一緒に呼吸を合わせていくと、私も呼吸が深くなっていくので、全然疲れていないですよ」そう笑うセラピストさんの顔は、確かにピカピカ光っている。(余談だが、私はどんなに疲労困憊しても夜更かししても、絶対に肌荒れしない。私に残された、最後の長所と言えるかもしれない…)

併設のカフェで「Tulsi」という名のハーブを使ったお茶をいただく。テーブルに置かれた、アーユルヴェーダの説明書きを読む。「トゥルシーとは別名ホーリーバジル。アーユルヴェーダでは、”比類なきもの”と称され、冷え性、風邪症状の緩和、新陳代謝向上、精神安定とストレス緩和、免疫機能向上、などの効用がある。オーラを浄化し、愛と献身の力を与える」。飲んでいると、背中の方からポカポカしてきた。オーラを浄化する、というのが、何となく分かる。何となくだけど。思い込みかもしれないけど。そして、愛と献身の力という言葉が、太字で見えた。人の手を借りてもらうのは、内側の毒素をやっつけたのは、これかも知れない。私は「癒し」という言葉が大嫌いだが、きっと、これはそれかも知れない。

建物を出ると、体が軽くなっており、足元が少しだけふわふわした。肺の奥まで空気が入る気がした。目の前の大きな公園では、雨上がり、お花見の人がちらほら。そう言えば、桜が満開だった。急に世界がカラーになったような心地がして、ハッとした。
ー私は、人の手を借りて、復活した。

夕方、息子を土曜保育先の保育園に迎えに行く。私を見るなり、「げんきになった?」と満面の笑顔で聞かれた。毒素が抜けたのが、どうやら、顔に出ているらしい。園を出て、少し歩いたところで、立ち止まり「おかげさまで元気になったよ。抱っこさせてー」と言うと、息子は抱きついて「ありがとうは?」と言った。肩に置かれた息子の手が温かかった。いつも、私を見ていてくれて、ありがとうございます。

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