2016年12月2日金曜日

表現

暗がりで、詩を書いているという若い女性に会った。残念ながら、彼女の詩を読んではいない。きっと、いい詩だろう。そんな気がする。

彼女越しに光る眼が二つ。視線に耐えきれず、「お会いしたことありましたっけ?」、やすやす尋ねると、「あなた、物を作る人?」と鋭く返された。「いえいえ、私はただのデパート店員です」「いや、何か作っているでしょう。そういう感じが出ているわよ」「いや〜、うーん、あ、子供を作って、育てていますね」と言ったら、彼女はようやく微笑んだ。「本当は何をしたい人なの?」この晩、2度目の問いであった。

そこに居合わせた人々の多くが、絵を描いたり、デザインしたり、歌を歌ったり、楽器を演奏したり、詩を書いたり、鞄を作ったり、アクセサリーを作ったり、何かしらクリエイティヴな仕事を持っている、そういう場所であった。そういう中にいると、妙な「何かやっていないといけないような気」になってしまうのが、かつての私だった。今でも少しそんな気がしないわけではないけれど、年をとったり、自分のそういったコンプレックスの類を意識してからは、そういう気をぐっとのみ込んで、「パートの、デパート店員です」とか「取り立てて、何もしていないです」とか極めて平静に言えるようになった。かの人は「みんながみんな表現し始めたら五月蝿い。それしかできない奴がすればいい」と言ったものだったが。

11月の前半は、朝の通勤電車でよく泣いた。電車は二子玉川から地下に入る。窓の外の風景が地下のそれになると、私は、泣いた。思考はだらしなく流れ、涙がたらたらと両目から流れ出た。思い出は、つらい。哀しかった出来事でさえ、自分勝手に解釈され、甘く胸に迫った。あまり色々考えないように、ずっと音楽を聴いていた。8日ほど過ぎると、涙は止まり、悲しみは飽和した。ひとりになって、例えば、いーはとーぼの窓際の木の机に座って、欠けたソーサーの上に置かれたコーヒーを飲みながら、全てを放棄して、散文や詩を書いていたいような気持ちになった。でも、私はそれをしなかった。毎日、普通に電車に乗って仕事に行き、息子を保育園に迎えに行った。自分が「本当は何がしたいのか」なんて、どうでもよかった。そんなことを考える暇さえなかったし、かえって、それがよかった。それでもふと、あの夜の「本当は何がしたいの?」が、ぽっかり浮かぶことはある。

先日、お台場まで、コンサートを見に行った。隣に立った私と同年代と思しき女性は、ひとり、手作りTシャツにアーティストの名前ががっつり入った手ぬぐい、開演までスマホでこれから見るアーティスト氏の記事を検索しているようだった。コンサートが始まると、おとなしそうな彼女は一変、「きゃー」とか言ったりしながら、歌って踊り、祈るみたいに手を組んでステージを見ていた。そっちが気になってしまい、肝心のコンサートになかなか集中できなかった。熱狂的なファンの皆さんと、アーティスト氏の歌を聴いているうち、「この人は、とんでもない孤独を抱えてしまい、それで、どこかが著しく壊れてしまっている」という感覚がして、ぎゅーっと苦しくなった。ステージは華やかであった。アーティスト氏のストイックさが、ステージから遠く離れた私の身にも迫ってきた。しかし、ファンの多くはアーティスト氏の(進行形の)音楽性に実はついていけていないが、それにさえ気づいていない、そういう印象を受けた。私もまたその一人であるように思えてならなかった。大盛り上がりと裏腹に、アンコール時の、かさついたような、他人まかせの拍手には、驚きと虚しさを感じた。アーティスト氏が登場すると、その空虚感は一気に消え失せ、華やかさで目がくらむ。その落差、そこに立ち上る濃厚な孤独感。アーティスト氏は、その全てに気づいているような気がした。でもそれを許しているような気がした。間違っているかもしれない。ファンはコンサートを大いに楽しんでいたし、誰もがアーティスト氏の音楽を愛していた。それでいいのだ。何も悪いことはないのである。考えすぎ。私はアーティスト氏の何も知らないのだ。しかし、私はそう感じてしまった。ひとりひとりのファンが抱える孤独。それを受け止めるアーティスト氏の、さらに深い、孤独。その谷間にいる私は、なかなかコンサートに集中できず、会場を出ても落ち着かず、完全に方向感覚を失って、寄る辺なくお台場をうろついた。誰だって多かれ少なかれコドクだと言われれば、そうなのかもしれない。しかし…… 孤独の気配は嫌じゃない。でも、やっぱり「ファン」はきらい。ついでに、お台場もキライだ。

ゆりかもめに乗り、銀座線に乗り、たどり着いた町のバーで。誰にもコンサートを見てきたことを言わなかった。「表現」するということの凄まじさが身にしみていた。私は楽しくしていたが、芯の部分は冷え冷えとしていた。おかげで杯を重ねても、ちっとも酔わなかった。若い詩人の詩は、いったい、どんなだっただろう。くだらないおしゃべりはよして、見せてもらえばよかった。連詩をして、自分がもう書けないんだと、ザセツしてもよかった。そんなにうまくはいかなかったかな。私は終電に間に合い、小雨に濡れながら、家路を急いだ。



I Just Wasn't Made for These Times
                                         from Pet Sounds by The Beach Boys


I keep looking for a place to fit
Where I can speak my mind
I've been trying hard to find the people
That I won't leave behind

They say I got brains
But they ain't doing me no good
I wish they could

Each time things start to happen again
I think I got something good goin' for myself
But what goes wrong

Sometime I feel very sad
Sometime I feel very sad
(Can't find nothin' I can put my heart and soul into)
Sometime I feel very sad
(Can't find nothin' I can put my heart and soul into)

I guess I just wasn't made for these times

Every time I get the inspiration
To go change things around
No one wants to help me look for places
Where new things might be found

Where can I turn when my fair weather friends cop out
What's it all about

Each time things start to happen again
I think I got something good goin' for myself
But what goes wrong

Sometime I feel very sad
Sometime I feel very sad
(Can't find nothin' I can put my heart and soul into)
Sometime I feel very sad
(Can't find nothin' I can put my heart and soul into)

I guess I just wasn't made for these times

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