2016年11月7日月曜日

買いたい服がない

先月、いとうせいこうフェスに着ていく服を買いたかった。が、買いたい服は、どこにもなかった。どこへ行っても、同じような服ばかり。ビッグシルエット、太めのパンツ、無地(ベーシックカラー)、ファーのついたサンダル etcetc…… ちょっと途方に暮れてしまった。すると、ある朝、夫が、「日経ビジネスの特集が、ゆっちゃん(私のこと)がこないだ言ってたそのまんまのタイトルだったよ」と教えてくれた。それは『買いたい服がない』。「買う?買っても、買いたい服がないのは変わらないかもしれないけど……」。日経ビジネスは買いそびれ、着ていく服は見つからず、私は家にあった服を着て出かけた。その格好で表参道をぶらついていたら、海外の眼鏡メーカーのプレスの方に声をかけられ、写真を数枚撮っていただいた(笑福亭笑瓶さんみたいな眼鏡をかけて)。ちょうど20年前、そこから数メートル先にあるラフォーレ原宿の横で、ananにスナップ写真を撮ってもらったことがある。嬉しいのと恥ずかしいので、やたらと照れて、下ばかり向いて、カメラマンさんに注意された。大学の構内で売られていた300円の赤いカーディガンと原宿の古着屋さんで1500円で買ったニットの帽子。自信のなさも大いにあった。着ている服の値段を正直に言って、編集部のお姉さんにびっくりされた。撮影のお礼には、テレフォンカードをもらった(当時、実家とのやりとりは公衆電話だったから、テレフォンカード、ものすごく嬉しかった)。今回は、素敵な革の眼鏡ケースをもらった。時代は変わる。私は19才から39才になった。カメラは、フィルムからデジタルになっていた。

私は決して「おしゃれ」ではない。流行に乗っかりすぎるのが気恥ずかしく、流行とは外れた服を着る。若い頃は、流行に乗ってみたくて、うんと頑張った。でも、うまくいかなかった。流行るものと似合うものは違う。それが分かっていなかった。流行に乗るのはパワーが要る。私は、お洋服に全パワー、全財力を投入できなかった。本も買わなきゃ、映画も見なきゃ、人にも会わなきゃ、だったし。年をとって、柄物に柄を合わせたり、好きに、フツーにできるようになった。考えるのはバランスくらいで、気負わなさがかえって、いいのかもしれない。ちなみに夫は10年前の写真を見ても、今と全く同じ。夏でも冬でもシャツ。大事に着ているシャツは、ボロボロになっても修理に出して着る(「まだ着るんだ」と修理屋さんに苦笑される)。先日、そのシャツを作っている方のパソコンを直してあげて、修理代金代わりに、新しいシャツと靴下をもらって帰ってきた。「生地がよくなったんだって」と嬉しそう。全く同じ形の、白い綿のシャツ。でも、形がとってもきれい。私もボーダーシャツをいただいた。細かいところに気配りが効いていて、着心地がとってもいい。気持ちが刷新される、そんな感じがするシャツ。

ある日、働くデパートの朝礼で冊子が配られた。デパートが発行している冊子で、打ち出している服やらアクセサリーやら靴やらが載っている、よくある類のものである。開いて、びっくり、そして、ガックリ。5パターンある(つまり、5ブランド)コーディネートが、まぁ、似たような感じだったのである。可もなく不可もなく、無難。朝礼後、隣のショップのお姉さんに「どう思います?」と聞いてみた。「いやー、ひどい。あれはないですよ。もっさりしてるていうか……あれはないなぁ。やっぱ、そう思いました?」「私が言うのもなんだけど……似た感じすぎて、びっくり。実は最近、買いたい服が見つからないんですよ。柄ものとか、コンパクトなシルエットのとか、見つからないの」「どこ行っても同じですよ。同じもの売ってる。いいなーと思っても、どこの店のか忘れちゃう。それくらい特色がないんですよ」おしゃれが言うんだから、やっぱりそうなのか。レコード店を辞める直前、店長が替わり「もうこれからは売れるものしか置いちゃダメ」と、私のジャンルレス3連奏プレイヤー×4を撤去されたことを、ふと思い出した。

昨日は常連のお客様Sさん(おそらく同年代)から「どこで服買えばいいのか、ぜんぜん分からないんですよ」と、こっそり打ち明けられた。「S様は、いっつもオシャレだから、意外です。でも私も実は全く同じ気持ち。こういう場所で働く者が言ってはいけないんでしょうけどね、本当は」「いいところのお洋服は、やっぱりいいんですけどね、そりゃあね。でも、ちょっと手が届くところにある服がね、なんか、こう、グッとこないんですよ」「そうそうそう!なんですよ。可もなく不可もないんだけども、グッとこない。分かります。同じ格好している人、多いですしね。40になると、それが気恥ずかしいでしょ」「流行にパワーを感じないんですよ」「パワーかぁ、確かにそうですねえ」「(急に小声になって)でも最近、買いたいなーと思うやつは、奥から出てきますよ」「奥?」「店員さんが店頭に出してないものを……」「ああ!そうそう、こんなのもありますよって、出してくれたりしますね。あと、ファイルで見せてくれたりとかね。なるほどね」「良いお客さんになるとね、出してくれるんですよ」「そうですね、確かに。そうだなぁ。奥から出てくることありますねえ」

30代半ばから、それまで好きで着ていた服がまったく似合わなくなった。例えば、タイのメオ族の民族衣装とか、とっても似合っていたのに。(ジェーン・スーさんがラジオで同じようなことを仰っていて、私だけではないのか!とびっくりした。)その逆もある。若い頃、私は胸が大きくて、Tシャツが本当に似合わなかった。年をとったり、息子に吸われて、胸がなくなり、それまで似合わなかったTシャツが似合うようになってきたのである。ようやく今年の初めぐらいから、自分に今、どういうものが似合うのか、定まってきた。あらゆる服が似合わなくなって5年くらいは、服装がゆらゆらしていたので、ようやく気持ちと見た目が安定してきたその矢先に、「買いたい服がない」である。別に私は奇抜な服が欲しいわけではなく、年相応のおしゃれを楽しみたいだけなのである。それほどお金はかけられないけれど、どこかに一点いいものとか、パンチを効かせたものを取り入れたいのだが、something newが見つからない。というわけで、最近は帽子ばかり買っている。コヨーテのアップリケとか、カンフー少年と虎柄とか、子どもウケ抜群である。もう、そこを狙っていくしかないのか……あとは、古着で探すほかないのか……

今日は、15年くらい前に買ったアフリカのエプロンをたまたま見つけて、それをつけて出かけてみた。夫に「それ、していくの?」と聞かれたが、構わない。私はこれをつけて、vogue誌に出たことがあるのだ。このエプロンをつけてレコード店で働いていたら、来日していたイタリア人のデザイナーさんにポラロイドで写真を撮られたのである。その時は、彼が誰なのかも知らず、「日本の思い出かな?」とニコニコ撮ってもらったのだが、数ヶ月後、妹から「お姉ちゃん、ボノボノ??って雑誌に載ってるって、友達が言ってたよ」と電話があった。ボノボノ……それがvogueで(ボノボノからvogueにたどり着いたのが奇跡としか言いようがない)、来日中のデザイナー氏の写真日記の一部として載っていたのだった。

結局、私のおしゃれの歴史は、勘違い(=失敗)と「気にしない」(=好きで着ているから嬉し楽しい)の繰り返しなのである。「よく痴漢に遭わなかったな」という服装とか、「なんで切ったジーパンを頭に巻いたんだろう」とか、おしゃれな先輩と待ち合わせして「今日、どうした?」と静かに尋ねられ、突き放されることも多々あった。そういう時の服装って、忘れられない。思い出すと、確かにヒドイ。ものすごく恥ずかしい。でも、そういう思い出があった方が、人生、味わい深いもんじゃないですか?(浅いな……)「買いたい服がない」からと言って、嘆息したりせず、好きに着りゃあいいいじゃん、ここまで書いてきて、今、そう思えてきました。「映画館に人が入らない」とか「CDが売れない」とか「TVが面白くない」とか言って、矢鱈滅多ら嘆いている人に限って、映画館やCDにお金を落としていない、TVを見てもいない(いや、そりゃ、面白いと思うものは少ないですけれどもね)という事実。全てはポーズなのか。ワケ知り顔で、浅はかに物事を語りたくはない。そこに危うく陥りそうだったことよ。嫌悪とは、自らのコンプレックスから派生するものなのねん。
明日からも、好きなものを好きに、着ようと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿