2016年8月15日月曜日

日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。
このガラスは、初めから曇っていることもある。
生活の世界のちりによごれて曇っていることもある。
二つの世界の間の通路としては、通例、ただ小さな狭い穴が一つ明いているだけである。
しかし、始終ふたつの世界に出入していると、この穴はだんだん大きくなる。
しかしまた、この穴は、しばらく出入しないでいると、自然にだんだん狭くなって来る。
ある人は、初めからこの穴の存在を知らないか、また知っていても別にそれを捜そうともしない。
それは、ガラスが曇っていて、反対の側が見えないためか、あるいは……あまりに忙しいために。
穴を見つけても通れない人もある。
それは、あまりからだが肥り過ぎているために……。
しかし、そんな人でも、病気をしたり、貧乏したりしてやせたために、通り抜けられるようになることはある。
まれに、きわめてまれに、天の焔を取って来てこの境界のガラス板をすっかり熔かしてしまう人がある。
寺田寅彦『柿の種』より

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2年前だったか、生まれたばかりの息子を背負って、ある小さなコンサートを見に行った。お客さんも少人数の、とても静かなコンサートである。コンサートは見るつもりがなかった。赤ん坊連れで見れるわけがないと思っていたからである。しかし、友人である主催者が気を遣って、出演者の方々に話をしてくれ、万が一赤ん坊が泣きそうになったら、私も彼らの控室に入ってもいいようにしてくださった。演奏が始まると、息子はぐずる気配を見せた。生まれて半年ほどは、泣いていない時間がほぼほぼないような状態であったから、当然と言えば当然である。私はそうっと控室に入った。薄暗い照明の下、若い女性のミュージシャンが一人で机に向かっていた。彼女とは初対面ではなかった。会うごとに生きものとしての凄みが増しているようで、とても魅力的になっていた。私はそれをフツーの若い女性に使う言葉に変換して「おきれいになっていきますね、どんどん」などと言ったが、本当のところ、絶対に本人には言えないような言葉で彼女を捉えていたのだった。
彼女は私たちがいてもいなくても変わらない、といった風情で(しかし、微笑みは忘れなかった。そのことに私は静かな感動を覚えた。生きる哀しみを滴らせた優しさ、という感じ)、小雨が降る暗い屋外にタバコを吸いに出て行った。そして戻ると、香水を宙にひと撒きし、その香りの粒子の中をくぐって、ステージへと向かって行った。儀式のようであった。控室の薄く開いたドアの向こうから彼女の演奏が聞こえてきた。「悪魔と契約しているひとはこわい」と私は思った。
コンサートの後、にこやかな彼女に息子を抱いてもらった。まるで、重たいギターをよっこらせと抱えるみたいに、彼女は、息子を抱いた。

本人には言えないような捉え方ーそれは「ぜったいに、しあわせになれなそうで、すごくいい」というものだった。このように書くと、大いに誤解を招きそうであるが、いや、誰にだって失礼千万に響くであろうが、私にとっては、アーティストに対する最大の賛辞に等しい(ここでは、言葉はただの言葉、印象を表すただの仮の入れ物である)。そう感じさせるアーティストは、そうはいない。彼らは確かに「しあわせ」にはなれないだろうが、「しあわせ」とは対極にある様々な感情を燃やし、創造力を発揮しているように見えるからである。私はアーティストでは決してないが、片思いでひどい扱いを受けた時や、失恋した時、お金がなくなって塩を舐めるような生活をしている時、とにかく詩は書けた(そういう時の詩は、端っこだけど賞を獲ったり、雑誌に取り上げていただいたりした)。夫と出会ってからの私は、詩は全く書けないのである。「しあわせ」とは何だろうと考える時、一つには安定ということがあるだろう。(昔、片思いをした人に、「君の安定って、不安定ってことでしょう」と言われたことがあったけれど、才能がなかったにしろ、確かに、詩作という面では、そうかもしれない。)私の現在の生活から、詩は生まれない。私の詩は、そういう性質のものではないことを私は知っている。だから、「しあわせになれなそう」なアーティストを目の当たりにすると、実はほんのりとうらやましいような気になったりすることもある。だけど、自分が家庭を棄て、詩や芸術に走るようなことはない。そんな意気地はないし、第一、才能がない。 ただ、「不幸」に落ちると、苦しくかなしくなりながら、一方では光る目で「きた」と飛びつき、それを言葉にして三つ編みのように編み、火をつけて燃やし、詩にしていた経験は、私の中でまだ生きてはいる。

今日、夫と有楽町の映画館へ『AMY』を見に行った。私は2回目である。2週間ほど前に見てから、ああ書こう、こう書こうかと頭の中でコトバをこねくり回しすぎて、今、何を書いても、空虚に、嘘っぽく、古びて響いてしまう。とても丁寧に、誠実に作られたドキュメンタリー映画である。構成に、監督の確信と覚悟を感じる。そして、それを言葉でうまく言い表せるほど、私は大人ではなかった。

映画を見る前の、私のエイミー・ワインハウスの印象は、決していいものではなかった。刺青ががっつり入った気合の入ったトラブルが多いイギリスのお姉ちゃんが意外と渋めの音楽をやっている。書いてしまうと、本当にひどいが、大体こんな感じである。セカンドアルバム『Back To Black』を「さらっと」聴いてはいたが、深く感じいることはなかった(なぜあれを何のフックもなく、他の音楽と同列で「さらっと」聴けたのか、今となっては不思議だ)。そういえば、ジョナス・メカスの『Sleepless Nights Stories』を見た時、彼がワインを飲みながら、エイミーの曲を聴いて楽しんでいるシーンがあって、ものすごく意外な感じがしたのを覚えている(「彼女は中産階級の声じゃない!」とか言って乾杯してたっけなぁ、とインターネットで調べたら、こんなインタビューを見つけた→ http://www.jamesfuentes.com/press/anotherman_mekas.pdf
Muses cannot come into middle-class life.With Amy Winehouse people say, 'Oh, she is drinking and taking drugs,' but she is not singing in a middle-class voice.  .......とあった(p73?です。そこから続く内容も、その前後も、ぜひ読んでみてください)。

『AMY』を見て初めて、彼女がトラブルメイカー的要素の強いアーティストなんかではなく、何より音楽が好きな普通の女の子であったことにショックを受けた(「ずっと誤解していてごめんなさい」と謝りたくなってしまった)。そして、詩の強さ。内容は全て、自分の身に起こった出来事である。訳するとどうしてもこぼれ落ちてしまうのだが、韻を踏んであり、練りに練った詩だということが、英語がそれほどできない私にも分かる。露出度が高い服(個人的には、すごく好きな感じ)を着て、一見「せきらら」な歌を歌っても、彼女が決して下品に感じないのは、言葉の選び方に知性があるからなのだとハッとした(なぜ、メカスの映画を見た時に思い至らなかったんだろう)。その詩が歌になって、彼女が歌うと、まるで猛獣が威嚇する時のような、龍が青い炎を吐いている時のような口から(きっと熱い息だろう)、情念がこよりみたいにねじ絡まり合って出てきて、私の心臓をぐるぐる巻きにする。地獄の釜のふちから聞こえるのは、こんな声ではないかと思ったりした。

夫と一緒に保育園へ息子を迎えに行き、コンビニの駐車場に座って、3人で1本のアイスを食べた。息子は喜んで「たのしい」と言った。家へ向かう途中の狭い道、夫と息子が手をつなぎ、笑い合いながら歩いていく。前方に厚い雨雲、原色で咲くおしろい花、むせかえるような湿った草の匂い。ー幸福は、確かに、詩を必要としていない。ただし、まるで太陽が雲に隠れ地に陰を落とすように、私の幸福な日常にふいに現れる孤独のようなもの、泥が付いた悪意のようなもの、何かしらの芸術の印象や残像……そういったさまざまな阿片が、日常に詩の気配を呼び覚ますように感じることはある。その刹那、その気配をひそかに味わうのも、また、いいものなのかもしれない。


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フランスの思想家アランも「幸福は一つの顔しか持っていないが、不幸の顔は、一つ一つみなちがう」というようなことを言いましたでしょう?幸福は詩になりにくい。詩を必要としていない。
詩人・新川和江さん(2011年11月12日毎日新聞のインタビューより)

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"Love Is A Losing Game"
                       by Amy Winehouse

For you I was a flame
Love is a losing game
Five story fire as you came
Love is a losing game

One I wish I never played
Oh what a mess we made
And now the final flame
Love is a losing game

Played out by the band
Love is a losing hand
More than I could stand
Love is a losing hand

Self professed... profound
Till the chips were down
...know you're a gambling man
Love is a losing hand

Though I battle blind
Love is a fate resigned
Memories mar my mind
Love is a fate resigned

Over futile odds
And laughed at by the gods
And now the final flame
Love is a losing game

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