2016年7月6日水曜日

Last Train Out

「時代には勢いがあります。今ならば、ちょっと右寄りの方がかっこいいとか、そろそろ憲法改正が必要だとか、昔日の日本の威光を取り戻そうとか、そういう動きですね。それらに安易に同調したり、勝ち馬に乗ろうとしたりすると、とんでも無いことが待っているかもしれない。戦前、日本の孤立を決定づけた国際連盟からの脱退に国民は拍手喝采しました。その愚を繰り返さないように立ち止まって考え、『勢い』をチェックして、場合によっては抑えることが必要でしょうね。賢さと言い換えてもいい」

ちょうど3年前の、参院選に寄せた木田元さんのインタビュー記事の切り抜きが、木田さんの著書『闇屋になりそこねた哲学者』(ちくま文庫)から、ぱらりと出てきた。ずっと同じことを繰り返しているんだなぁと、ぼんやり思う。遠くから選挙カーの音、オートバイの走る音、鳥のさえずり。

先週は夫、今週は息子が発熱し、私は仕事を休んでいる。大してそれらしい看病もしていないのだが、私は意外と芯からくったりしている。それと反比例して、部屋の中の植物は繁茂を極め、息子と一緒にだらしなく畳の上に転がって、窓を見上げれば、その前に、出てきたばかりの緑の葉が陽に透けて在る。小さな葉は、雲の多い空に押されたスタンプか、切り貼りされた色紙か、施された刺繍のように、きっちりと太陽の方向に葉を広げている。高熱のせいで、うまく眠れず食べれない息子はよく泣いて(目を閉じ口を縦に開けて泣く息子は、ツバメのヒナにそっくりである)、その泣き声を聞いているうちに、私はどんどん眠たくなってくる。さっき、ちょっとのんびりしてみようとテレビをつけたら、悪い冗談みたいな番組ばかりで、軽く脱力してしまった。どんな世の中になっても生き抜いていけるタフさを、この子にどう身につけさせていけばいいのか、祈るような気持ちで、じっと考えてみたりする。

少し前、不倫だか何だかをしていた芸能人の方が復帰するというニュースでの街頭インタビューで、何人かが「復帰は早すぎる。あと半年くらいは謹慎してもらわないと、ちょっと…」みたいなことを、しっかりした口調で話しているのを見た。あんた、この人に何かされたの?あと半年ってどこから出た数字なのか。しかも、それが一人じゃないということにも驚いた。その当事者と(ビジネスを含めた)周囲が考えればいい話ではないか?興味もないし、正直どうでもいい話題だが、私は通勤電車の中でじっくり考えてしまった。例の都知事辞任の時も、「即刻辞任すべきです!」とイキイキ話す若手議員に、ものすごい違和感を感じた。その内容と対応の、あまりのお粗末さに、私ですら呆れたことは事実だ(周りに助言してくれる人は一人もいなかったのでしょうか)。しかし、なんというか、鬼の首を取ったかのような顔で、他人の失敗に対して、ここぞとばかりにハキハキと主張する人々。…気持ち悪い。単にセンスの問題なのか?(顔を出して堂々と)「失敗」する人を断固として許さない、自分と異なるものを許さないというか、排除しよう断絶しようとする人が増えているような気がする。そうしたら、それが、「不寛容社会」と呼ばれているのだと最近になって知った。

2週間ほど前、森達也監督の最新作『FAKE』を見に行った。このところ、様々な映画の評を新聞で読んで「見たいなぁ」とは思っても、行動に移さないでいた私が、この映画は封切られるとすぐに見に出かけて行った。月曜日の昼間だったが、映画館はとても混んでいた。混雑した映画館で映画を見るのは、とても久しぶりのことのように感じた。
私はなるべく事前情報を入れず、先入観を持たないようにして映画を見ようと努めている。今回もそのようにして見たつもり。そうして臨んだ『FAKE』は、期待をはるかに超えて、とても面白かったし、驚きもあった。森監督の覚悟。誰かを何かを信じることの凄さ ーしかし「信じている」かどうかは当人しか分からない。感じることはできるし、行動としては目に見えるが、実際のところどうなのかは分からないー、「信じてもらっている」と思った時の人間の力。人間の滑稽さとか可愛げとか、…フィクションでは追いつけない(描けない)ドキュメンタリーならではの「強い」エピソードの数々。(どんな映画評でも頑なにラスト部分について触れないことにも合点がいった。)そして、「失敗」したことがあるすべての人の映画だと、私は思った。
映画が終わると、上品そうなご婦人二人組(60代)が「誰だって…ねえ、裏暗いところはありますわよねえ?」と小声で話しながら、劇場を出て行った。そうですね、私にもたっぷりあります。そっと声をかけて、お茶にでもお誘いすればよかったかな。
(映画館で、見知らぬ人たちと肩を並べて、ぜひご覧ください。)

私は前の仕事で、自分の浅はかな行動や言動で周囲の信頼を大きく損ね、廊下に机を出され、誰とも口をきいてもらえなかった時期がある。1年近く続いただろうか。自分が蒔いた種なので仕方がないのだが、ものすごく苦しかった。よく辞めなかったなぁ、なぜ辞めなかったんだろう、と今だに思う。誰もが私にいなくなって欲しかったと思っていたと思うし、それを日々強く感じていた。ボスは私に「いなくなれ」とは言わなかった。ある時、他の人の仕事で、ちょっとこれはないなぁ、と思うことがあった。1年近く話らしい話もしていなかったのに、あまり迷いなく、ボスに話に行った。ボスにしか、その仕事に対して私が感じた違和感を理解してもらえないと思ったからだった。彼は話を一通り聞くと、私を近所の寿司屋に連れて行った。そして、翌日から、私を「秘書」にした。そこからは死ぬ気で働いた。今になって振り返ると、もうちょっと違う方法でやれたなぁとは思うけれど、その時の全力で、私は仕事に打ち込んだ。かなしく縮んでいるうちに家賃を半年も滞納したので(追い出されなかった。分納してくれればいいと言われた)、バイトを2つ掛け持ちして、夜に仕事した。休みは全くなかったし、病気になったり、友達も減ったけれど、迷いは全くなかった。だからと言って、自分のやったことは絶対に消えないし、今でも会えないような人たちもいる。よく「人生やり直しがきく」というけれど、リセットみたいな感じでのやり直しはきかないと私は思う。誰もが私を忘れても、私は自分がしたことを忘れないからである。ただ、同じことにならないよう注意することはできる。それが自分にとってひどい痛いキツい経験であればあるほど、そうならないよう全力でやるだろう。そういう意味でも、「失敗」した人たちに仕事させればいいと私は思う。温かい目を向けなくていい。そういう中でもやる人はやる。そこでまた「失敗」されたら、考えて、もうだめだと思ったら、そこで初めて自分から切り離せばいいんじゃないかと私は思う。私は、あの時、裏暗い自分を全部受け入れて(そうする以外、他に方法がなかった)踏みとどまったことが大きな転機になったし、あんなふうに何かに熱中して、その実現だけを考えて生きることは二度とないだろうなと思う。不寛容な社会で苦しいのは、かつての私が排除されているような気持ちが、胸の内にありありとよみがえるせいもあるかもしれない。

裏暗い過去??があった私が今、なんと、人間の子どもを育てているのである。びっくり。そんなことは夢にも思わなかった。ああいう経験がなければ、子どもを持つことはおろか、結婚したり、就職したりもできなかっただろう。「自分と違うことを受け入れる余裕、強さを持つ(おそれない)」「勢いのあるものには疑いを持つ」「どんな時にもユーモアを忘れずに」、最近の私はこの3点を腹に据えて生きています。おうよ、どんな世の中になろうとも。どんなことが起きようとも。息子よ、これからの母ちゃんを見ていておくれ。



Last Train Out

after the fade out the end of the world
blues falling down just like rain
no one believed you tried to say
there was more to leaving than running away

they'll try to make you be exactly how they want you
and then they'll take the heart out of you baby
and then they'll kick around the dreams that you were building
and it'll never be over
       it'll never be over

this is the last train out of here baby


by Nanang Tatang ( from the album"Muki")

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