2016年7月25日月曜日

非行少年

土曜日曜と、アパートのすぐ前の空き地で盆踊りが行われた。1週間前には、立派なやぐらが設営され、我が家には自治会から「ご迷惑をおかけします」の一文が添えられた真白いタオルが配られた。
17時過ぎ。この地域に、こんなに人がいたのかと思うくらい、人が集まってくる。浴衣姿の老若男女、一張羅と思われる厚底の白いブーツを履いている中学生(未来警察のよう)、刺青のがっつり入ったお兄さん、妊婦、うちのアパートの駐車場で横になっている子供数名、ヤンキー、お揃いの半被でキメる自治会の方々。その声。そして太鼓。ドンドンドン、ドドンがドン、カカカッカ。大音量でかかる東京音頭。ハァ踊り踊るならチョイト東京音頭ヨイヨイ花の都の花の都の真ん中でサテヤットナソレヨイヨイ。家の中にいるのに、ものすごい臨場感である。毎年恒例の行事であるのだが、昨年一昨年は帰省していたし、その前の年は仕事をして遅くに帰宅したので、タオルが配られる理由が分からなかった。なるほど、これはすごい。でも、嫌じゃない。しかし、階下の赤ん坊は眠れるのだろうか。「いきたいの!おどりたいの!」我が家の2才児は、食事中も気がそぞろである。一刻も早く行きたいと訴える。甚平に着替え、頭に手ぬぐいを巻くと、玄関を出て30秒の会場へ向かった。

目をみはるほどうつくしい。やぐらの頂点へ向かう紅白の提灯の列、出店を照らす裸電球の列、やぐらの頂点には、太鼓、さらしを巻いたおじさんが3人、その下で輪になって踊る人々、さらにそれを取り囲んで踊る人々。息子を抱っこして、遠巻きに見ていたら、「おろして!おどるの、おどりたいの!」と言う。ものすごい人出なので、身長87cmほどの息子は踏まれそうになるのである。少し離れたスペースに息子を降ろし、「踊っていいよ」と言うと、「まえでおどりたいの!おどりたいの!」。あまりに切実なので、やぐらに近づき、息子を降ろすと、そうこなくっちゃ!というような満面の笑みで、アンパンマンのうちわを振り振り踊り始めた。見知らぬ自治会のおじいさんとの掛け合いも含め、あまりに場馴れしている風情で、盆踊りを楽しむ息子。なんだなんだ、どうなってるんだ。興奮した様子でリズムに乗り、サンダルを片足失くしたことにも気づかず、踊っていた(本部に届いていた)。

1週間前。カンパニーデラシネラの公演『ロミオとジュリエット』を見に行った。タイトルの響きにひかれて、『空白に落ちた男』を見て以来、すっかりファンになってしまい、公演があるたび、私はひとり、うきうきと出かけて行く。『ロミオとジュリエット』は数年前に、世田谷ものづくり学校で見て以来2度目。その時のメモ(フライヤーの隅)に「最後、フリスビーが飛び、紙テープが床を滑る。豪華けんらん。私の肋骨の中で騒ぐ鳩をそこへ放ってしまいたかった。鳩もそう願っていた」と殴り書きで書いてあった。
最前列に席を取る。「ステージ」はなく、平面である。目の前で、俳優さんが踊る、演じる。俳優さんの汗が光るのが見える。靴の裏が見える。シャツに滲んだ汗のかたちが見える。かすかに息で上下する肩が見える。生身の人間が、目前で、動くのを見るぜいたく。
途中、観客に前へ出て一緒に踊ってくれるよう、呼びかけがあった。行きたい。会場にいた子供たちが出演者によって「前」へ誘われる。子供ではない私はもちろん誘われない。いいな。肋骨の中の鳩が騒ぐ。「大人でもいいですか?」挙手しながら思い切って言う。驚いたことに、私は全く緊張しない。子供たちに「がんばろうね。よろしく。やろう!」と握手を求める。子供たちの目は正直だ。「へんなおばさん」と思っているのが分かる。燃える。そして、私は、踊った。厚底のサンダルで、サングラスをしたまま、不器用にターンする。すごく下手だったけど、楽しかった。もっと、おどりたい!
席に戻り、再び、俳優さんの動きを見る。ジュリエットはロミオのことをそんなに好きではなかったのかもしれないな。でも、自分の本当の本当の気持ちには気づかない。心底好きだと自分でも思っている。でも、本当のところ、熱狂出来るなら何でもよかった。この人が好きだと思って、突っ走って、振り返ってみたら大して好きでもないかもしれないのに、周りも巻き込み恋に生きる。自分と相手を含む誰かを悲しませることがない恋なんて、恋じゃないと思う。そういうことが若いうちにはある。ジュリエットはロミオを「利用」したのかもしれない。流れ星になって、燃えて、消えてしまいたいーそういう時が、もう自分には来ないのだ。そんなことを思って、切なくなった。「若さゆえ」を、遠くに思って、近くに引き寄せて、じーんときた。

息子が盆踊りで「おどりたいの!」と言った時、自分の言葉かと思った。誰が教えたわけでもないのに、「おどりたい!」と思う気持ちの芽生え。いいぞいいぞ。DNAに組み込まれた、踊る阿呆の素質。

今日、宮益坂の古本屋で、山口瞳の『江分利満氏大いに怒る』を100円で買った(ちなみに伊丹十三の『問いつめられたパパとママの本』も100円で買った。電車の中で読んでいたら、目の前の席に座った女子中学生2人が明らかに私の本の方を見て笑っていた。何が面白かった?100円の値札?タイトル?)。「大日本酒乱党宣言」が読みたくて買ったのだったが、「非行少年論」にぐっときた。

非行少年を救う道はたったひとつしかない。それは芸術である。宗教のことは知らない。おそらく、宗教では救われないだろう。教育も駄目だろう。金儲けも効果がないだろう。
(中略)
級友のMは美校の生徒だったが、もっと芸術のほうに突っこんでいれば死ななくてすんだろう。
モラルというのは私にはよくわからない。信用がおけない。信じられるのは芸術だけだ。何が芸術かといわれると困るけれど、芸術とは何かを考えることは好きだ。
早く大人になり過ぎた少年にブレーキをかけることののできるものは芸術以外にないと思われる。
「非行少年論」より

ジュリエットが「非行少年」だとすると、芸術のほうに突っこんでいれば…ということが言えるかもしれない。が、私は、彼女にとって「芸術」とは恋愛であり、目の前に現れてしまったロミオという男ではなかったかと思う。そういう意味では、ジュリエットは芸術に突っこんで死んだ。本望だったでしょうね。たとえ、ロミオがろくでもないやつだったとしても。女子中学生にひそひそ笑われながら、私は震えた。あんたたち、笑ってないで、何かに身を焦がしなさいよ。

未来の非行少年よ。生きているうち、若いうち、何かに熱狂することがあればいい。からだと頭と五感をフル回転させて、「芸術」に突っこんで。誰に笑われたって、かまわない。熱狂するもの(何だってかまわない)を見つけたら、生き急ぐこともあるでしょう。やぐらの周りをぐるぐる回りながら踊る息子を思い出しながら、芸術、熱狂、欲望、若さ、について思いめぐらしています。

ハァ、西に富士の嶺、チョイト、東に筑波、ヨイヨイ、音頭とる子は、音頭とる子は真ん中に、サテ、ヤットナソレヨイヨイ、ヤットナソレヨイヨイ


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