2016年6月6日月曜日

一生の仕事

10年くらい前、六本木のタクシー乗り場で、すてきなネクタイをしたフランス人に「すてきなネクタイですね」と声をかけた。「イッセイミヤケのだよ」と彼は言って、自分の映画を持って日本に来ているのだと言った。古い日本映画や暗黒舞踏なんかをよく知っていて、立ち話のつもりが仲良くなった。「ロッポンギにイッセイミヤケのブティックがあるだろ?イッセイは友達だから、服を借りに行きたい。付き合ってくれない?」と言われた。でも彼は若かったし、きっと思い込み?だろう、と思い、近くまで一緒に行ったけれど、ブティックへはついて行かなかった。そんな「敷居の高い」お店に、「勘違い」の外国人(全く知らない人)と服を借りに行く(買うんじゃない!)なんて、いやだったのである。その後、1度偶然、1度約束をして、そのフランス人とは会ったけれど、その真偽のほどは今も分からない。

MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事 The Work of Miyake Issey
と題された展覧会。PLEATS PLEASEのお姉さんが「とっても面白い展覧会です」と、おすすめしてくださったのである。そう言う彼女の顔はとてもbrightで美しかったし、社交辞令で「行ってみます。うふふ」などと終わらすなんて失礼はできない、自信のようなものも感じた。それが3月。翌月の毎日新聞で、ご本人、三宅一生氏が「デザインは面白い、自分も何か作ってみたい ー そんな気持ちを持ち帰ってもらえたら」と語っていらっしゃる記事を見つけ、切り抜いて手帳に挟んだ。そして、ようやく今日、国立新美術館へ行ってきたのである。お姉さんが「見応えありますよ」と言うだけのことはあり、2時間半ほどかけて、展示を見た。

まるでラブレターのような国立新美術館の館長さんの文章を読み、展示室に入ると、すぐに「服って、いったい、なんだろうなぁ」「どうして私たちは服を着ているのだろうか」といった思いがむくむくと湧いてきた。ただ体を隠すだけということでなく、様々な社会的、歴史的要因のこと。旧約聖書を読み返したいなと思ったり。展覧会のタイトルは「三宅一生の」仕事、なのだが、三宅「一生の仕事」とも取れる。しかしそれは、決して的外れな連想ではなく、なるほど、すべて、現在も続く三宅一生氏の「一生の仕事」なのであった。

展示されている「服」はどれも力が強く、目に入れると何も感じずにはいられないものばかりだった。ものすごい刺激である。すべてマネキンが着ているのだが、着る人によって、ずいぶん印象が変わるんじゃないか、これは着る人を問う服でもあるなぁ、と思った。そして、大変おこがましいのだが、「これ、ゼッタイ、私、似合うな」というものが何着かあった。数年前なら、きっとそうは思わなかっただろう。40代を目前に、今、私はこのパワーを内包/放散する服に負けない何を手に入れたのだろうか。おそらく、手に入れた、というよりは、失ったり手放したことによって、内側のスペースが空いて、人としてダメな卑しい部分とか、体型がどうとか容姿がどうとか、過去がどうだったかとか、そういうことをようやく(無理することなく)自分の一部として受け入れられるようになったこともあるかもしれない。誰もが容易に買える服ではない。いや、「服」というより、その時その時の自分と共鳴させたり調和したり衝突させながら身につける、最新の芸術品である。今は、とても無理だけど、私もいつか実際に着てみたい。その時、自分がどう見えるのか、とても楽しみ。

開館時間に合わせて行ったので、11時からのプリーツマシーン実演を見ることもできた。プリーツ=ひだを作るための機械である。銀色の大きな機械で、よく手入れがされているといった感じ。このテの機械に伴いがちな孤独感みたいなものを一切感じない。「働き者」、そう呼びたい感じだ。11時近くになると、マシーンの周りにどんどん人が集まってくる。やはり、ISSEY MIYAKEのファンが多いのか、ロードゥイッセイの香りがどこからともなく漂い、人が集まれば集まるほど、その香りが厚くなっていく。濃さではなく、香りに厚みを感じたのは久しぶりのことだったし、同じ香水をつけている人が集まる中にいるというのは初めての体験だった。それでもちっとも嫌じゃないのね。
テスト運転を見る。どういう仕組みが、いまいちよく分からなかったので、そばに立っていたスタッフの方に質問。彼はとても親切に、仕組みを教えてくださった。後方では、おばちゃん3人組が別のスタッフに「ねえねえ、そのズボン、売っていらっしゃるの?」「ウエストはゴム?」「履きやすい?触っていい?」と質問攻めにしている。おばちゃんに取り囲まれた若い男性スタッフは、にこやかに爽やかに応対していて感心した。おばちゃん達の目は爛々と乙女のように輝いている。テスト運転で出来たプリーツを触らせてもらう。見知らぬ人たちとちょっとだけ顔を見合わせ、「おー」とか言いながら。
首からメジャーを下げた、若き鷹匠のような風貌の方と芸術を好む英語教師といった風情のスタッフの方を中心に、実演開始。機械がカタカタ動く。皆、じいっとプリーツが生み出されていくさまを見守っている。途中、最後まで見ずにその場を離れようかと思わないでもなかったが、完成まで見届けたいという気持ちが私を留まらせた。その場にいた人々は同じ気持ちだっただろう。スタッフの方々は、出てきた布を左右の手のひら全体で触って確認したり、定規でプリーツの幅を測ったり(たぶん)、出てきたプリーツを上下の紙から剥がし仕付糸を外し、…… 「手がかかるとはこういうことか」というくらい、熱心に丁寧に、「手」をかけていた。そうして完成した羽織は、「ただの一枚の布」から、呼吸しているかのようにたっぷりと空気をまとった「服」になっていた。テクノロジーだけじゃなくて、あたたかな人間の手が加えられることで、この羽織の魅力が生まれているように感じた。ボディに着せられた羽織に、よかったね、と声をかけたい気分。

会場で上映されている映像5作品。暗幕の外でマネキンが着ている服を、じっさいの人間が着ている。それが、とても良かった。アーヴィング・ペンの写真で構成された映像を見ていたら、服自体が体温を持っている感じがした。服を着る人間への愛おしみが私の中で膨らんだ。そうしているうち、三宅一生氏には、アーティストにつきまとう狂気の類が感じられないことに気づき、私は密かに驚いた。陽の匂いがするような、健やかさ。先ほどのプリーツマシーンに孤独な感じがしなかったのも納得である。加えて、スタッフの皆さんの真摯な感じ。揺るぎのない健やかさ ー それに私はとても感動した。
『ウォーターフォールボディ』という作品に、1982年の三宅一生氏が出てくるのだが、私はここでようやく「この人が三宅一生氏」と認識した。いや、絶対にお顔の写真を見たことはあるのだが、流さずに、「この人!」としっかり思って見たのは、この時が初めてだったのだと思う。82年の三宅一生氏は、港町の、昼間は喫茶、夜は小料理屋をやっていそうな粋なおじさんに見えた(そして、着ているシャツの感じといい、私の夫にそっくりすぎて、グッと親近感を覚えてしまった…)。その「港町のおじさん」が、健康的なエロスに満ち溢れた美しい「服」を、仲間たちと真剣な眼差しで作っているのである。10年前の私に教えてあげたい。続いて『紙衣』では、幼い頃から近しい場所、宮城県白石が登場。そこで作られる和紙が「紙衣」になっているのである。自分の仕事を全うするおばあさんたちに胸が熱くなった。(それを見ながら、場所の記憶なのか、ふいーっとルーシー・リーを思い出した。ちょうど6年前、同じ場所で、ルーシー・リー展を見たのである。あれ?なんで思い出したのかな、そう思っていたら、次のバイオグラフィー的な作品で、ルーシー・リーが出てきてびっくり。彼女の作成したボタンを使った服もあるんだって。刺激を受けて、冴え渡る私。)

すべての映像を見終えると、暗幕を抜け、一目散に「紙衣」の元へ。そこを起点に、ぐるっと会場を見渡してみる。そしてもう一度、会場を歩いてみた。いろいろな物事の、集約、がここにあるような気がした。まだ言葉でちゃんと言い表せないけれども。

カタログを買おうと、売店で並んだ。とても綺麗な、白いつやつやした本だった。待っている間、パラパラとページをめくったのだが、正直、先ほどまで見ていた「カタログ」に過ぎないような気が、私は した(個人的な意見です)。それで、結局カタログを買うのをやめて、『ISSEY MIYAKE East Meets West 三宅一生の発想と展開』(平凡社)を買った。1978年に発行された大型のこの本は、執筆陣に高橋睦郎、磯崎新、石岡瑛子、白洲正子との対談など、読みでも見応えもある。マネキンではなく、生身の人間が着ているのも、私にはよかった。欲しいものを手に入れる喜びをかみしめながら、家に帰った。いや、実はその前に、六本木にある、某ファストファッションの代表格の店に行ってみたのだ。何もかもがおそろしいほど安価で、同じものがこれでもかと棚に並んでいた。全否定できる立場に私はない。買ったことありますよ。しかも1度や2度じゃない。でも、もうこれまでみたいに、何も考えずには、これからは買えないかも。先ほどまで見た、手がかかっているものとは、何もかも違っていた。ものの値段。どうして「高い」のか、どうして「安い」のか、そこには明確な理由があるのだと、異物をぐっと飲み込むかのように、(今さらながら)私は思った。アイロニカルなポップアートのように並ぶお洋服を目にしながら、私は途方に暮れてしまった。

帰宅した夫とあれこれ話しながら、缶ビール。息子が眠る部屋からそっと取り出してきた2冊 ー 『ルーシー・リー展 Lucie Rie : A Retrospective』と『世界のライト・ヴァース 4 太陽の半分と月の全部と』も傍らに。後者から、一編。
展覧会は13日まで。


海のそばで
サバハッティン・クドレト・アクサル

その男は海辺に坐りこみ
手に釣り糸を持って、星を釣っている
夜の中から一つずつ釣りあげ
その釣りあげたのを味わっている
彼の後には皓々と光をともした市場

彼の背後の道を一人の娘が通ってゆく
その歩きかた、毅然と胸を張り、白い純な顔
唇には人を狂わせる歌をくちずさみ
彼女が動いてゆくと芳香が人の鼻をうつ
夢だ、現実よりひどい夢だ

男の方は仕事に夢中になっていて
市場のことも歌のことも念頭にない
その眼の子供っぽい輝き
彼は一人で埠頭に坐っている
彼が何を考えているか、きみにわかるかい?

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