2016年5月21日土曜日

玻璃

第一印象が良くなかったものを、あるきっかけで好きになると、とことん好きになってしまう。
14才の時、地元のレコード店で出くわした、『家庭教師』というタイトルを冠せられたCDジャケットの、得体の知れなさ。いま思えば、その2、3年前に、地元出身の映画監督の同名の映画が公開されていたこともあって、目に留まったのかもしれなかった(その映画に対しても、アルバムジャケットとはまた異種の「得体の知れなさ」を感じたものだった)。その後ぐうぜん耳にしたそのアーティストの歌い方、歌詞にも同様の拒否反応をしたのは、私が幼かったからかもしれない。初めて触れる自分の周りにはないもの、「異質」なものを受容できない、幼さ。そしてそれは、田舎暮らしの少女にとっての、ある種の防衛本能であったのかもしれなかった(それでも「いや。きもちわるい」とバッサリ切り捨てしまわずに、こんな風に覚えているのは、なにか強く引っかかるものがあったってことなんだろうけれども)。
10年近く経ち、東京で、レコード店店員になった私は、そのアーティスト氏が、裸のギターを厚い躰に斜めがけにして、お店に来ているのを目にした。「きれいな顔で、エロい歌を歌っている、気持ち悪いひと」。はっきり言ってそういう印象だった彼が、ずいぶんと躰を厚く、顔色を土色にして、黒い厚いコートをまとって目の前にいた。彼の音楽に拒否反応しかなかった私なのに、ショックを受けたのはどういうわけだろう。

それからまた10年近く経って、ポツドールの舞台を観に行った(たぶん『夢の城』)。大音量で、岡村靖幸の『セックス』(これもたぶんだけど『マシュマロハネムーン』も)が繰り返し繰り返し流れていた。まともに聴いたこともないのに、岡村靖幸の曲だと即座に分かった。何度も何度も聴いているうち、じわじわ染みこんでいくように、歌詞がアタマに入ってきた。びっくりした。詞がとにかくよかった。「生まれて初めて女であることの意味をなぞってみる」「生まれて初めて人生が平等か、そうじゃないか、考えてる」ー 胸がドキドキした。たしかに、セックスについて歌っているのではあるが、それは軽薄でも下世話なものなんかではなく、もっと人間の根源について、悲痛なまでに歌われているような気がした。そして、そういう浅い、安易な分析じみた考察を何より拒んでいるような強さもあった。私は都会の片隅にある小さな劇場で、シダが生い茂る太古に、泥土の匂いをたっぷり吸い込んでいるような、そんなトリップ感さえ味わった。そして、田舎のレコード店の店頭で「いや。きもちわるい」と感じた、14才の自分を思い出した。「異質」であるはずのものは、自分の内側にあったものだった。自分に対する復讐、いや逆襲みたい。そんなことを考えているうちに、暗転し、舞台が始まった。

先々週から『ゴーシュ余聞 チェロと宮沢賢治』(横田庄一郎 著/岩波現代文庫)を読んでいる。タイトルの通り、宮沢賢治とチェロをめぐるルポルタージュである。9才の夏、宮沢賢治記念館で『春と修羅』にぶち当たり、17才の早春に学校へ行くふりで家出しキセルして宮沢賢治記念館まで行った私は、中身も見ずに書架から手に取ると、そのまま会計を済ませた。1920年代、賢治らがいかに音楽を欲し、どう音楽を聴いていたのか。いくつかの精彩な印象の引用も含め、「何かをどうしようもなく欲する」時の、自分の、あの感じを色濃く、遠く近く、思い出したりした。
(数年前、新聞で賢治に恋人がいたという記事を読んだ。レコード鑑賞会で出会った年下の女性で、2人は結婚も考えたというが、女性の親族に反対され、関係が絶え、女性は別の男性と結婚し渡米、それから間もなく亡くなったという話。彼女はどういう思いで渡米したんだろう。この女性のことを、時々ふいに思い出すことがある。)

『チェロと宮沢賢治』を読んでいるうちに、なぜだろう、岡村靖幸のCDを片っ端から聴いてみたくなったのである。そして、双方を行き来しているうちに、浮かんだのは水晶 ー 「六角形状のきれいな自形結晶」である(面白いですよね、ひとのこころの動きって)。地下深く、高温の熱水の中でケイ素と酸素が結晶し、環境により成長する…… 息子を迎えに行く道すがら、暮れる空をぼんやり目に入れながら、局限的であることも含めた「純粋」ということについて、つい考えたりした。喪失、揺るぎなさ、切迫していて、かなしくて、哀しみはあるけれど明るさがあって、決してゲヒンには陥らない、たましい。そういう、たましいから生まれ出たものに、いつだって敏感でありたい。

自分の胸の内をうまく言い表せず、悶々としつつ、冷蔵庫の奥で冷え冷えしていた缶ビールを飲んでいたら、夫帰宅。岡村靖幸ばかり聴いている私に、最新アルバム『幸福』を買ってきてくれた。

(そしてさらに、この人のことも思い出した。)
https://youtu.be/NK1_B7GhM8s

こういう人たちが生きている/生きていた惑星に暮らしているということ。息子は寝た。夫も寝た。ひとり取り残された私は、水晶様のたましいについて考えながら、妙に泣けてきたのである。私の眼はずいぶんと濁ったけれど、眼の奥にくっと力を入れ、濁り淀みを澄ませるように、物事を考える時がある。何もかもが澄んでいればいいとは決して思わないが、しかし、自分の濁っている部分に、よいやっと力を加えてみたい時はある。

もし、生まれ変わることができるなら、次は、男に生まれたい。


孤独と風童
宮沢賢治

シグナルの
赤いあかりもともったし
そこらの雲もちらけてしまふ
プラットフォームは
Yの字をした柱だの
犬の毛皮を着た農夫だの
けふもすっかり酸えてしまった

東へ行くの?
白いみかげの胃の方へかい
さう
では おいで
行きがけにねえ
向ふの
あの
ぼんやりとした葡萄いろのそらを通って
大荒沢やあっちはひどい雪ですと
ぼくが云ったと云ってくれ
では
さようなら

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