2016年4月24日日曜日

palette of the life

■ 熊本の地震が起きてから、5日目。本当にお恥ずかしい話なのだけれど、地震発生を知った時から、この話題について避けてきた自分を、今朝、夫との会話から見出したのだった。毎日、朝刊をリュックサックのポケットに入れ、ラジオを聴きながら出勤する私が、この地震について、ほぼ何も知らない。夫は、半ば呆れたように、かなしそうに、私を見た。それで私は、今日の朝刊でようやく「ちゃんと」この地震について知ったのである。それは、予想以上の被害であった。記事を読みながら、5年前の地震が、自分の想像以上に、自分の中にこびりついている、ということを実感した。5年前から今日まで、私の家族や友達や生まれ育った土地の地震により否応なくもたらされた変化について思い至り、気持ちが重くなった。つまり、私はこわかったのである。子どもを持った今、さらに、災害は、他人事でなく身に迫る恐怖になったこともあり、無意識に(私はこの言葉をあまり使いたくはないのだが、そして言い訳がましいのだが)熊本を襲った地震のニュースを避けていたのだった。ひとは、私は、情報をこんなふうに「選んで」、シャットダウンできる。この事実は、私にとって、かなりショックであった。

…と、ここまで書いてからずいぶんと日にちが経ってしまった。ここ2週間ほどは、何かと忙しく、自分の気持ちを言葉に落とし込む作業が、落ち着いてできなかったのである。それでも、メモ書きに残したもの。例えば、こんな感じ。

■ 先週は、うちの子のことではなく他の子のことで悩んでいた。
息子が登園すると真っ先に飛んできてくれる男の子がいる。その子(仮にXくんとする)は以前から、お友達に手を出しやすい子だった。先生方はずいぶん注意しているように見えた。私も、対息子に限らず、「現場」を目撃すると、「だめよー、やさしくよー」などと声をかけるようにはしていた。先週のある日、お迎えに行った時、息子のほっぺをXくんが(ニコニコしながら)ぎゅーっとつかんだ。Xくんが息子のことを好いてくれているのは分かる。しかし、これはいかん。息子は大泣き。側にいたXくんのお母さんは「Xくんはやんちゃだから…」と困ったように微笑み「ごめんね」と言った。あれ、怒んないんだ、とびっくりした。息子は「ほっぺ、どーん!びっくした…」と私に訴えてきたのだが、実のお母さんの手前、私はXくんを叱れず、息子のほっぺを撫でて終わってしまった。園を出て外にいると、Xくんが飛び出してきて、私や他のお母さんの脚を(ニコニコしながら)両手でバンバン叩いた。息子は私に抱っこされながら、「やめてー、いやだー、やめてー!」。しかしXくんは、ささささーっと走り去って行き、その後ろを困り顔のお母さんが追いかけて行った。
またもや息子の気持ちを無視したようになってしまった私は、まず実家に電話をして、子育ての先輩2人に相談。正義と信念の人である私の妹と母は「いやーないわ、自分の子どもを守れるのは自分だけなんだよ!他のお母さんに気兼ねするとかないわー。正直、そういうのどうだっていいかんね。私はそうやって今まできたよ」「後でどうするとかないよ。子どもは特に。その場その場で解決していかないと」などと、全くの正論を述べた。分かる。私だって、自分の子がいちばん大事なのは同じことである。分かるのだが…
Xくんの名前を伏せて、園の連絡帳に出来事の内容を書いた。すると、お迎えに行った時、年輩の先生が(4月からいらっしゃった先生で、息子が大好きになってしまった先生。新環境に慣れずに大泣きする息子が落ち着き気が済むまで、保育室の外へ出て一緒にお話ししたり、走っていく車を見たりして、1時間半もつきあってくださった先生である)、「連絡帳、読みました」と、話を切り出してくださった(先生は、名前を伏せたお友だちがXくんだということを分かっていた)。「子どもの問題ということではなくって、そういうことが起きた時、私はどうすべきなのか、結局、自分の身の処し方について悩んでいるんです」と私が言うと、園での対応の仕方を説明してくださり、その上で「もし、叩いちゃったりしたら、「まちがったねー、ほっぺなでなでしたかったのに、たたいちゃったのはまちがったんだね。たたくのはだめだよね」と言ってみるのはどうでしょう?…」。その日もまた、息子はXくんにほっぺをつかまれた。息子は泣かなかった。彼のお母さんはその日もそばにいたが、私は間髪入れずに「あ、Xくん、まちがえたね!」と言ってみた。しかし、Xくんはもうそこにはいなかった。X母は「ごめんね」と息子の頭を撫でると、Xくんを追いかけ、「だめよー」と言っていた。それにしても、Xくんのスピードがハンパない。いつの間にかやってきて、あっという間に去っていく。エネルギーを持て余しているという感じだ。そして、その母はエネルギーを消耗しているという感じである。

■ 朝食後、いつものようにおむつを替えようとしたら、息子がおむつを履きたくないと泣いたのである。「おむちゅ、イヤー!」。私は、いつものイヤイヤかと思ったのだが、夫が「うんちしたいんじゃない?」と言う(ナイス機転)。「トイレ行ってみる?」と尋ねると「うん」。スタスタと自らトイレへ向かう息子。子ども用の便器(便器に据え付けられるタイプ)に座らせてみる。我が家のトイレにはイラスト入りの世界地図と日本地図が貼ってあるのだが、それを見ながらお話ししているうちに、うんちが出たのである。まさか本当にするとは思わなかった。夫も私も大感動。息子はやや照れて、便器の中の自分のうんちに向かって「うんちーバイバイ!」と手を振った。夫は「あー、これ、流せないよ…すごいなぁ、こんな日が来るとは…」と感慨ひとしお。どんどん、成長していくんだね。私が産んだの、ほんとかなぁ。実感がどんどん薄くなっていく。

■ 土曜保育。保育士の先生方から「こんなにはっきりおしゃべりをする1才児を初めて見た」と言われる。「ほんとうは3才なんじゃないかと話していました」。センシティブボーイである息子だが、だいぶ落ち着きを取り戻しつつある。そして、ずいぶん世話焼きになってきた。私が帽子をかぶっていると「ぼうしかぶったら、ジャンパーきようね!」。お友達がガラス扉を叩いていたりすると、駆け寄り「だめよー、やめてー、あぶないよー」と、肩や背中に手を添え、注意を促す。それでもやめないと、その子のお母さんなどに「おかあさん!いって!」と脚を押して、やめさせるよう促す。おいおい。先日は、仲良しのお母さんと「飲みに行きたいですねー」と話していたのだが、その帰り道、「ままー、Sちゃんのおかーさん、あつまるー?ごふぁん、たべるのー?」と聞かれ、びっくり。「あ、あー、あー、そうだね。一緒に行く?」「うん、いくー」「何食べたい?」「いちご!」「いちごかぁ」「たべゆー、おいしいよ!」。見ていた夢について話してくれることもある。「Tくんがごみしゅうしゅうしゃにー、ごみいれてたのー、Kせんせいとみてたのねー、からしゅ(からす)、しゅうしゅうしゃからでてきた。びっくしたー」「からすが収集車から出てきたの?」「うん、しゅうしゅうしゃからでてきたー、みたー」。へー、1才児が見る夢。イマジネーションの拡がりがあって、すごくいい。それを伝えることができる言葉の力を思い知る。

■ 体は疲れているのに、なんだか頭は冴えていて眠れず、夫がいない居間でインターネット。なんでしょうね、なんでインターネット、見ちゃうのかな。夫と暮らし始めるまで、家にパソコンがなかった私は、本を読んだりラジオを聴いたり(地デジ化でテレビが見れなくなった)何か書き物をしたりしていたんだろうに。ま、それはおいといて。画家nakabanさんのブログを開いた。私はnakabanさんのファンである。絵はもちろん、人も好き。nakabanさんのブログ、4月7日のハンカチも買った。首に巻いたり、青いコートの胸ポケットに差し込んだりしている。なんか…手を拭くのに使えない。ハンカチなのに(ちなみに、ハンカチ屋さんの店員さんもとても感じが良くて、びっくり)。そして、4月11日のパレットの絵。夜中に、情けないスウェット姿で正座して、その絵を見た。ものすごく気に入ってしまった。パレットって言葉の響きも好き、モノも好き。開けられたパレットの中の、色。じっと見つめると、肋骨の中の鳥が騒いで体の外へ出て行ってしまいそうになる。描かれた紙の白は、時間帯によって、色のやわらかさ深さが違って見える。平野啓一郎さんの小説『マチネの終わりに』での主人公の言葉「未来は常に過去を変えている」をふと思い出す。
そして、いま、その絵は、私の目の前に掛けられているのです。すごいなぁ。夢みたい。

ようやく週末を迎え、息子は眠り、久しぶりに夫と二人で晩酌中。今、階下からは、生まれたての赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。夜になると(昼間は家を空けているので聞こえるのは夜だけ)、床の下から聞こえてくるのである。先日は、息子と二人で床に耳をつけ「赤ちゃん、いるね」「あかちゃん、ないてる」と、しばらく泣き声を聞いていた。二人目が欲しいというわけでは決してなく(体力的に無理)、赤ちゃん、抱っこしてみたいなぁ、また育ててみたいなぁ。夫は買ってきた音楽の本?を手に、熱心に、あれこれ音楽を聴いている。夜間、最低でも1回は起きていた息子も、最近は、朝まで起きないことが多くなった。息子の話、音楽の話、仕事の話、などなど。少しだけ長くなった夜を、夫とおしゃべりできる幸せ。

日々の暮らしをたいせつに。いつどうなるかなんて誰にも分からない。今日が人生最後の日だと思って、毎日生きたいと思う。きれいごとっぽいなぁ。小っ恥ずかしいなぁ。でも、きれいごとも、たまにはいいでしょ。

ーいつの間にか、我が家の男二人は布団に深く沈み込み、私だけがあわあわと晩春の夜を漂っている。階下の赤ちゃんも泣きやんで、

メモしつつ早や四月よとひとりごと   星野立子

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