2016年4月8日金曜日

どうしようもない

どうしようも無い
1)(そうなるに任せるより)ほかに方法が無い。
2)(どんな方法でも)救いがたい。
3)個人の力(意志)では止めることが出来ないほど決定的だ。
4)抑えることが出来ない。
(新明解国語辞典 第四版より)


いつもの美容院で、髪を短くカットしてもらう。お会計の時に見つけた、そこの美容院が発行している、ちいさな写真集を買った。
http://nyshizen.com/nd/doushiyoumonai-koinouta/
http://icontky.com/brands/doushiyoumonai-koinouta/
タイトルさえ見ずに買って、裏道にある古いし狭いがしかし雰囲気のいい食堂で袋を開ける。オレンジがかった薄暗い照明の下で、タイトル『Doushiyoumonai Koinouta』が浮かび上がって見えた。どうしようもない、恋の唄。なんでこんなタイトルにしたのかなぁ、といまいちピンとこない私であった。しかし、ページをめくっていくと、合点がいった。二人の若い男女。若さゆえの「どうしようもなさ」が、清らかに、そこにあったからである。どうしようもない。どう、しようもない。そんなことがかつてこの身にも起きていた。そして、私自身が、とんでもなく「どうしようもない」存在であった頃を思い出した。

夫が、人気の若者3人組のCDをレンタルしてきた。ラジオで何度か聴いたことはあるけれど、ちゃんと聴くのは初めてである。グッドセンス。私が10代の終わりから20代の初めにかけて熱狂した、いわゆる「渋谷系」の音楽を思い出した。しかし、何かが違う。くり返し聴いているうち、若さゆえの「どうしようもなさ」と、若いがゆえの「どうしようもない」衝動が感じられないということなのかもしれないと思った。否、べつにそんなものなくたって、いいのではあるが、何というか、私にはさらりとしすぎたのかもしれない。それから決定的だったのは、歌詞である。コピペして、単語や文章を組み合わせてあるように感じた。否、それだって、べつにいいのである。コラージュの面白さは知っている。しかし、それならば、もう意味なんて、すっかり放棄しちゃった方がいいんじゃないかなぁ、と、汚れちまったおばさん(私のこと)は思った。もしかしたら、私の想像はことごとく外れているのかもしれない。練りに練って、作詞しているのかもしれない。スルスルと聴き流すには意味ありげ、でも、どうも浅い感じ、刺さりはしない。それが狙いなのかもしれず。「コトバはただのコトバ、ただのサーヴィス」なのかもしれず。
でも不思議だなぁ。手で書いた詩と、キーボードを打って出来た詩はまるで違う。それぞれの良さはあるだろうが、違う。20年ほど前、うんと年上の友人に「パソコンで文章書かないでよ。文体変わるよ、確実に」と言われたことを今さら思い出した。そして、前の上司から「食い物が変わって、人間の腸の長さが変わったとしても、人は感じることでは変わらない。それを、俺たちは信じようじゃないか」と言われたことも。

「付き合い始めたばっかりの彼がいるんですけど、その人が、一生、女の人に関わって生きていたいって言うんです。それが全ての弊害になってるっていうか… いや、浮気とかじゃないんですよ。ちゃんとした男なんですよ。で、愛は欲しいんだけど、そこに愛はない、みたいな。ま、付き合い始めたばっかりなんですけど、結婚して子供産んでってなったら、こんな状態じゃ無理じゃないかなって考えたりして。私って、論理的に自己分析(??)ができちゃうとこあるから、頭で考えちゃうとこあるから、いいことないですよね。だから友達少ないのかなーって」
お昼の休憩室で、新聞を読んでいたら、妙に張り切った声が聞こえて顔を上げた。前方のテーブルにいる、20代半ば?くらいの女性が、同僚と思われる30代女性に話をしていたのである。食べ終わって箸を突っ込んだままのカップラーメンと菓子パンらしき空袋を前に、荒れた肌にファンデーションが白浮きした顔、汚れた布の靴をテーブルの下でだらしなく脱いでいた。「おお、なんて不潔なんだろう」と、失礼にも、私の目は輝いた。そして次に「なんだか深刻だなぁ。恋をしているはずなのに、ちっとも楽しそうじゃないなぁ」と気の毒に思えてきた。彼女の目の前の女性は、「それは違うんじゃないかな」「そうだねえ」などと相槌を打ちながら、親身に話を聞いてあげているように見えた。すごいなぁ。こんなにも優しい先輩が目の前にいるのに、どうしようもない話を延々と話し続ける甘ったれた彼女のどうしようもなさ。でもあなたの意識次第では、自分のその「どうしようもなさ」が、あなたを育てることはあるかもしれない。とてつもなく苦しいけどね。がんばってください。ひらがなで念じるように思って、私は席を移動した。

保育園の帰り道、息子に「赤ちゃん、入ってきたね。かわいい?」「ヤダ」「赤ちゃん、ヤダヤダーって泣いてるの?」「ちがう」「え?!もしかして、赤ちゃんのこと、イヤなの?」「ヤダヤダ」「なんで?」「…Tせんせい、あかちゃん、おんぶ、してるのねー」。T先生とは、3月まで息子の担任だった先生である。おー、やきもち!「〇〇も先生におんぶしてもらいたいの?」「…うん…してもらいたいー」。へー。翌日、またしても大声且つ朗らかに、この出来事を保育園で発表。心なしか、息子は気まずそうにしていた。T先生はそんな息子の両手を取り、「赤ちゃんのお世話をしていても、せんせいは、〇〇ちゃんのせんせいだよ」と、きっちり目を見て言ってくださった。(ちなみにこの日の夜、久しぶりにおんぶ紐を出して、息子に見せてみたが、泣いて拒否された。)
新学期から1週間。朝、大声で泣いているのはうちの息子だけである。なかなか新しい環境に慣れない、センシティブボーイである。お昼寝も30分くらいしかせず、帰ると甘えたがって大荒れ。一昨日は、あまりに荒れて、抱っこして「もう、どうしたんだい!」と、背中をペシペシと叩いてしまった。ショック(翌日、謝った)…
お昼寝の直前、アンパンマンのテーマソングをひとりで歌っていたり(「愛と勇気だけが友達さー」と歌っていたかと思うと泣ける…)、お尻を洗ってもらいながら「Kせんせい、すき… Yせんせい、すき…」と新しい先生について、自らに言い聞かせるようにつぶやいていたという話。息子も息子なりに葛藤し、折り合いをつけようとしていたのである。先生方の歩み寄り、息子の努力の結果、ようやく今日、いつも通りお昼寝もし、帰宅後も荒れることなく眠った。
今日のお迎えの時、0才児クラスのお母さんに挨拶をした。「慣れました?いや、慣れないですよね、まだきっと」と笑ったら、「子どもより私の方が慣れないです」と、困ったように微笑むお母さん(美人)。「今朝、うちの息子、送って行ったら、泣いていたのうちの子だけだもん。みんな、落ち着いててえらいですね」「もしかして、1才児クラスの、大きめの男の子じゃないですか?」「えーと、お顔のアピールの大きい…?」「お顔のアピールは分からないですけど… 他のお母さんたちと、1才のクラスの子、いつも泣いてるねって話していたんです」。おー、噂の男!一緒に保育室に入って行くと、「まま、きたー!」と満面の笑みで走ってきた息子。「この子ですよね」と振り返ると、「笑ってるー!かわいいー」と言ってくださった。ハイ、どうしようもなく、かわいいです。


歩々到着
  
禅門に「歩々到着」という言葉がある。それは一歩一歩がそのまま到着であり、一歩は一歩の脱落であることを意味する。一寸坐れば一寸の仏という語句とも相通ずるものがあるようである。
 私は歩いた、歩きつづけた、歩きたかったから、いや歩かなければならなかったから、いやいや歩かずにはいられなかったから、歩いたのである、歩きつづけているのである。きのうも歩いた、きょうも歩いた、あすも歩かなければならない、あさってもまた。――

木の芽草の芽歩きつづける
はてもない旅のつくつくぼうし
けふはけふの道のたんぽぽさいた
     
どうしようもないワタシが歩いてをる
(種田山頭火「山頭火随筆集」より)

0 件のコメント:

コメントを投稿