2016年3月31日木曜日

Ship In The Bottle

一昨日の夜、お風呂で、息子の背中にびっしり発疹があるのに気がついた。よくよく見ると、腹から胸にかけてもポツポツと赤く発疹が出ている。その2日前まで40度の熱が続いていたから、これは突発性発疹ではないかと思った。しかし翌日、朝一番で小児科へかかると「これ、突発じゃないよ」「え?じゃ、なんですか?」「風邪からくる発疹」「じゃ、保育園いけるんですか?」「行ける行ける。薬も必要ない。ハイ、一件落着ー」と、先生は息子とハイタッチしていた。えー本当かなぁ。でも、思いがけず登園できることになり、ひと安心。昨日は、園のお別れパーティーが行われることになっていたから、私としては、できれば登園させたかったのである。

お迎えに行くと、息子は先生に抱っこされた状態で私を見つけ、にっこり笑った。しかし、これがこの日最後の笑顔となった。まず、靴下を履くことを拒否。歩くことも拒否(ちなみに私はベビーキャリアーもベビーカーも忘れてきていた)。仲良しのSくんと一緒にスーパーへ行くと言う。しらすパックと鳥の唐揚げ3個を自ら見つけ、「ぴっぴ(レジのこと)」と言う。レジに持って行くと、「ぴっぴ、どーぞ!」と品物を渡し、レジを通してもらうと「あいがと!」とお礼を言った。レジのお姉さんは完全無視で、袋に入れたしらすと唐揚げを息子の目の前に素っ気なく置いた。おー、社会はキビシー。息子の腕に袋をかけてやると、「たべゆー」と言う。「お家に帰ってから」「イヤー!ここで、たべゆー」と聞かない。目を離した隙に、唐揚げを袋から取り出そうとしていた。唐揚げというガッツある食べ物を「あら、いいわよ」と、子どもの言うがままに、その場で食べさせる親がいるのだろうか。もちろん私は何とかそのような事態を避けようと努力した。が、スーパーの前で、あまりに大騒ぎするので、うっかり「ほれ、じゃあ、ひとくち」と与えてしまった。しかし、「いや、手も洗っていないのに、こんなことは親としてどうなのか」などと「理性」(あえての「」付きです)が働き、「イヤイヤ、やっぱりだめだ!!」と、ひとくちだけ齧られた唐揚げを大急ぎで自分の口の中に放り投げた。Sくんのお母さんは「あらあら」と微笑んでいる(私は彼女のこういうところが本当に好きだ)。食べれると思った唐揚げを母ちゃんに食べられ、息子大泣き。とりあえず、近くのバス停のベンチまで行き、除菌ウエットティッシュで指先を念入りに拭き、腹立たしさを必死で押さえながら「はい、どうぞ」と息子に唐揚げを食べさせた。想像してみてください。18時半過ぎ。バス停のベンチに座ったサングラスの母親が、泣く幼児に手づかみで唐揚げを食べさせているさまを… 

息子は1個とひとくち分、唐揚げを食べた。ああ、帰れる…と思った私が甘かった。息子はレジ袋の中のしらすを「おさかなたべゆー」指差したのである。「…ごはんと一緒に食べたほうがおいしいよ」「たべゆー、おさかなー!!」唐揚げはよくて、しらすがだめな理由はもうなかった。そう、もう、唐揚げを許した段階で、しらすだって食べたっていいじゃないか。しかし私は頑なに、「だめ。しらすはお外では食べられないよ」と、努めて優しい口調で諭すように言ってみた。暖簾に腕押し。こういうことを言うのか。保育園を出て1時間。歩いて15分の距離である。大通りは、帰宅を急ぐ車がビュンビュン走りすぎて行く。ベンチの隣に座った女子中学生は私たちを見て見ぬふりをしている。いや、見ぬふりじゃなくて、本当に無関心なのかもしれない。孤独だった。夜空がいつもより高くに感じた。息子は力の限り泣き続けている。背中をそっとさすろうとしても、全身で拒否。市営バスがきて、私たちの前に止まった。私は暴れる息子を抱いて、数メートル先のデイケアサービスの建物の階段に座った。私はヤケになり、「いいよ!食べて、はいどーぞ!」と、しらすのパッケージを雑に開けて息子に見せた。自分のそういう様子に私は傷ついたから、息子はもっと傷ついたことだろう。彼は黙って(手を洗っていないから汚いと思ったのだろうか)口を近づけて、そのまましらすを食べた。そして今度は、右手でそっと掴んで、口に入れた。食べたいものを食べているはずなのに、息子の眼は空虚だった。体調がイマイチだから、イヤイヤ期だから、では片付けられない何か、葛藤、不安?息子の中でとぐろを巻いているものの正体はいったい何だろう。

食べることをやめないことに怖くなり、「もう食べたよ。おわり」と、しらすパックの入ったレジ袋を取り上げると、息子はこの世の終わりかのように、泣いた。涙が、鼻水が、走り去る車のヘッドライトに照らされて、さまざまな色を含んで光っていた。頬の涙の上で、しらすが数匹泳いでいた。息子のちいさな右手に握られたしらすが少しずつ少しずつ、タイル貼りの階段にこぼれ落ちていた。私はそれらを拾い、ウエットティッシュに包んでポケットに入れた。私も一緒に大声で泣いてしまいたかった。階段に座り込み、大声で泣く息子の横に座り、「帰ろうよ」などと声をかけていたが、泣き声はいっそう激しくなっていく。通り過ぎる人がちらちらと私たちを冷たく見ていた。通報されるのではないだろうか。そんな考えが一瞬頭をよぎった。思い切って、私は母に電話をし、泣く息子を説得してもらった。携帯電話から聞こえる、ばあばの声を息子はじっと聞いていた。泣き止み、ぼうっと正面を見据えながら、「イヤダ」とひとこと言ってから、「だっこ」と腕を伸ばした。私は息子を抱っこし、家まで帰った。いつもはおしゃべりな私たちなのに、無言で歩いて帰った。

帰宅すると19時半を過ぎていた。息子はジャンパーを脱ぐことも、手を洗うことも拒否。「おっぱいちゅーちゅー」、おっぱいを吸いながら、私の膝の上でうとうとしていた。そりゃ、あんだけ体力使えば、眠くもなるよね。私はしわしわになった哀しいレジ袋の中の、しらすまみれの食べかけの唐揚げ1個を指でつまみ、口に入れた。ものすごく、わびしかった。そして、腹をくくり、息子の言うことを全部聞いてやろうと覚悟を決めた。目を覚ました息子の望みを、熟練のテニスプレイヤーのごとく、打ち返す。「いちご」と言われれば、いちご。「アンパン、みるー」と言われれば、アンパンマンの録画を再生。いちごを7個与えたところで、「うどん、たべたい」。全くの予定外だったけれど、うどん(きしめん)、茹でました。嫌がるなら、お風呂も入らなくていいと思っていた。命に関わること以外は、何だって聞いてやろうと思っていた。案の定、お風呂は嫌だと泣くので、お風呂の扉を開けて、ひとりでお風呂に入っていたら、息子が泣きながら入ると言う。入れる。でも、入れても泣く。「いく」と言うので、お風呂からあげたら、やっぱり大泣き。履かせようとしたおむつを全力で脱ごうとする。「おふろーもどるー!!」。お風呂に戻したら、放心したように、湯船のふちにつかまっている。1才児の絶望の表情を初めて見た。「お茶、飲む?」と聞いたら、カクンと頷く。お茶を渡すとコクコク飲み、また放心した。私は切なくなり、息子の手の上に手を置き、じっと目を見ながら、「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ」と言ってみた。息子は「…あがゆ」と言って、両腕を伸ばしてきた。そして、あっという間に眠った。

ヘッドライトに反射する息子の涙と鼻水、その上のしらすの半透明の白さ。通り過ぎる車の轟音に混じる息子の泣き声。握りしめた手からこぼれ落ちたしらすの配置。デイケアサービスのミントグリーンのタイル。月の見えない暗い空。無きものにされる私たち。道路の向こうで発光するように咲く桜。息子の空虚な眼、絶望の表情。
どれもこれも想像を絶するほどの、力ある「いい画」だった。そう思う私は、たいへんなろくでなしである。でも、本当に、すさまじく、「いい画」だった。

今朝、いつもより無口な息子をベビーカーに乗せて、保育園へ。先生方や顔を合わせた同じクラスのお母さんに、昨日の出来事を話す。本当は息子のいないところで話した方がいいのかもしれないけれど、あえて本人のいるところで楽しげに話した。先生方も楽しげに聞いてくださった(お迎え時、受け取った連絡帳には、私の切なさを汲んでくださった一言が添えられていた。気づいてくださって、ありがとう)。窓の外には、4月からいらっしゃる新しい保育士の先生方が、園長先生から説明を受けていた。絵本の最後のページの前のページで「おしまーい」と本を閉じてしまう息子である。お別れの気配を感じているのだと思う。感受性の、もんだい。経験がないって、経験に照らし合わせることができない状態って、どんな感じなんだろう。言葉になる以前の不安って、どんな気持ちがするんだろう。息子の手を握りながら、そんなことを思っていた。

今日は、Beckの”Ship In the Bottle”を繰り返し、繰り返し聴いていた。保育園へと向かうバスの中、空虚な眼で、流れる景色を眺める。桜が散る中を、汚い身なりのじいさんが、うつむいて歩いて行った。昨日、泣く息子をタクシーに乗せて、大きな公園まで行き、いっそお花見でもすればよかった。桜の樹の下で、しらすでも唐揚げでも何でも一緒に食べればよかった。じいさんはいつの間にか消えて、暮れゆく空にはスウスウと薄い雲が、所在なげにぽっかり浮かんでいた。


When I called you in the morning
You were struggling for sense
You were journeying through memories so vicious
You made all your dying wishes come true

But I know you're gonna try
To live without love, by and by
But that's not living that's just time
Going by
Going by
My love

Another ship in the bottle
It's got no place to sail
See your waves getting darker every hour
The stars have lost their power in the sky

But I know you're gonna try
To live without love, by and by
But that's not living that's just time
Going by
Going by
My love

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