2016年3月24日木曜日

月に囚われた男

ぼくは うれしい きょうも つきが みえる
ぼくは わらうよ つきのかおは へんてこりん
ふとみると そこにいる
つきのかおは へんてこりん
きみには きこえる?
つきも うたっているよ
もーん もーん もーん
「つきのオペラ」/寺門孝之『ぼくらのオペラ』より

3日前から、息子は月に心を奪われている。ここ数日、保育園の行き帰りを歩いているのだが(大人の足で15分ほどの道のりを30分ほどかけて)、一昨日の帰り道、月を「再発見」してしまったのである。ほぼ満ちた月を見つけると、息子は真剣な顔つきで「もーん、もーん」と言った。寺門孝之さんの絵本『ぼくらのオペラ』の中の「つきのオペラ」を諳んじているのである。高い建物で見えなくなっても、木に隠れても、曲がり角を曲がっても、どこかでまた必ず現れる月。「また、きたー!」息子は目を円くして、喜んだ。

翌日(=昨日)、朝起きてすぐに、「もーんもーん、みたい」と、抱っこして、のポーズ。「お月さまは、お日さまが出ている間は隠れているよ。夜になれば、また会えるよ」と言うと、「よる、また、あえゆ(あえる)」とあごを引き、ちいさく繰り返した。保育園に着くと、出迎えてくれた仲良しのTくんに「もーんもーん、みた、よー。いっちゃったー、また、でた、ねー。よる、また、あえゆ、よ!」と力説。ほほ笑みを返すTくんに、ニッコリする息子であった。

そして、空に貼られた布がずるずると引きずり剥がされたように、夕暮れ、夜がきた。昨日はあいにくの曇り空。私は、方角がいつだってどこだってよく分からない(なぜか常に背中側が北だと思う)。昨日はあっちの方に見えたよなぁ、と月を探すも、そこに月は見えず、ただただ薄い黒い幕のような空が拡がっていた。「ないねえ」「ねー」「雲がお月さまを隠しているんだよね。雲の向こうにお月さまはある。感じるしかないね…」などと話していたら、息子が「だっこー」と言う。抱き上げると、息子は両手を頬に当て「もーん、もーん」。呼びかけ?そう思って、一緒に「もーん、もーん」と、けっこうな音量で空に向かって呼びかけてみた。体の芯を太く硬くするようなイメージで、「月出てこーい」と念じながら。すると、黒い雲(味噌汁に入ったアオサのよう)がもやもやと動き、濃い黄色の満月が姿を現した。「あー!」「あー!!」「すごいすごい!呼んだら、お月さま、出てきたね!声が聞こえたんだねー!!」大感動。思わず、ぎゅーっと息子を抱きしめる。息子は呆然としていたが、ハッと我にかえり、「…でてきた!しゅごい、ねー!」と月を指差した。完全に姿を現した満月の下、コンビニ、ラーメン屋、定食屋、中古パソコンの店、倉庫、バス停、国産車や高級外車のショールーム、民家、梅畑、竹林、……さまざまの間に伸びる道路の上を、たくさんの車が煌々とライトを照らしながら、それぞれの行き先に向かって走っている。雲は風に乗り、時折、のったりと月にかかる。「くもさーん、おちゅきさま、かくさ、ない、でー、ねー!」と呼びかける息子。雲はその声に応じるかのように、月の上には止まらず、ゆったりと通り過ぎていく。「あいがと(ありがとう)!」頭を下げた息子は、何を思ったのだろうか、「ぶーぶー、あいがと!」「ばすー、あいがと!」「たくしー、あいがと!」「おみじゅー(どぶ川の水)、あいがと!」「かもさーん、あいがと!」と、思いついたものすべてにお礼を言い始めた。嘘みたいでしょう。でも本当なのである。ものすごく、じーんときた。「ままー、あいがと!」と聞こえて、ますますじーんとしたのだが、よくよく聞いてみたら「もーんもーん、あいがと!」でした。あ、でも、もしかしたら「あいがと!」って言いたかっただけなのかも。大人が考えるほどの意味はないのかも。それでも、息子の「あいがと!」は心に沁みた。アパートの前まで来ると、息子は「もーんもーん、また、あした、ねー!バイバイ!」と月に向かって手を振った。

夕飯を終えると、おさらい、ではないけれど、息子は『ぼくらのオペラ』を、えっちらおっちら持ってきた。「おぴら(オペラ)、いっしょ、よむー」と開く。息子は、この本がうちにやってきた時から、「じしんのオペラ」の中の、さかさまになったり横転したバスや車を見つけ「ばすー、あった!」と、楽しんでいた。息子にとっては「じしんのオペラ」ではなく、「ぶーぶ、ばす、あゆ(ある)ぺーじ」なのだった。私もあえて「うん、車、あるね」くらいに返していた。それが、なぜか一昨日の夜から「ぶーぶ、いたいねー」「ばす、こわいねー」と困ったように言うのである。「だいじょうぶ。いたいのいたいの飛んでいけーってやってあげたら」などとお茶を濁し、「ぴよぴよ、いっぱい!」と息子が喜ぶ、「おっかさんのオペラ」のページを開く。それなのに、「ぶーぶ、いたいいたい、みゆー(みる)」と、何度でも「じしんのオペラ」が見たいのである。人間の本質とでもいうべきものの芽に触れたような気がした。車やバスをやさしくやさしく撫でて、気が済むと、「つきのオペラ」を開く。「みたねー、また、でたねー、みえた、ねー」と先ほどの月を思い出し、「もーん、もーん、もーん」と真剣に唱える息子であった。そこで気がついた。この「もーん、もーん」、ヨガのクラスで最後にマントラを唱えるのだが、あれに似ている。鼻から吸った息が肺に入り、声帯を震わせながら、低い太い声で発声される。他の人たちの発声と自分の発声が混じり合って、大きな波動のようになっていく。山奥で祈りながら糸を紡ぐ女になったような気持ちでいつも「おーー」とやるのだが、この「もーん、もーん」も同じように発声している自分に気がついた。

(それで、全く何も考えず毎回唱えていた「オーム」の意味をいまさら調べてみた。「アルファベットにすると「A」「U」「M」。生まれて最初に発する言葉「A」、死ぬ時は口を閉じて「M(N)」となることから、物事の始まりから終わりまでを一語で表していると言われる。また、「A」は創造の神ブラフマー、「U」は維持の神ヴィシュヌ、「M」は破壊の神シヴァを表しており、宇宙の全ての物事の形成をつかさどる絶対エネルギーを表す言葉」。簡単にまとめてしまうと、このようなことが書かれてあった。月に向かって「もーん もーん もーん」と呼びかける(唱える)のは、なんだか、理にかなっていることのような気がしてきた。)

そして本日、息子、またしても発熱。風邪症状は一切なし。起きてすぐに「おちゅきさま、みゆー」と言う。「また、夜ね。曇らなかったら見れるよ」と返すと、夫に「よる、みえゆ、よー」と教えていた。ホットケーキ、いちご、みかん、いよかん、ブーパン(お目目が干しぶどうのブタの顔パン)、食パン。息子が食べたいというものを、まぁ度を越さない程度に、しかし迷わず、的確なスピードでバトンを渡すようにして、その熱い手に渡す。起きてから3時間ほどの間に食べたいものを全部食べ、うんちを2回して、30分眠って、白湯を飲み、ぐったりとまた眠った。38.7℃。おひるご飯をすっとばして、息子は眠り続けている。いま、月はどこまできている? もーん、もーん、もーん。

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