2016年2月24日水曜日

BOTH SIDES, NOW

日曜日、いつもよりボンヤリしていた息子。午後のお昼寝あたりから、徐々に熱が上がって、夕方には39.7℃。月曜日、下熱していたものの小児科へ。「風邪、長引くなぁ」などと悠長に構えていたところ、「念のため…」と隔離されビックリ。「軽い気管支炎になっとるね。RSの検査!」。RSウィルス、今度こそきたか。先生の素早い動きで鼻の粘膜をゴリゴリやられ、ショックを受ける息子。泣く息子をなぐさめながら、隔離室で結果待ち。RSではなく、何とA型インフルエンザであった。

私の子育て指針のひとつである『育育児典』には、「インフルエンザはこわくない。たいていは5日くらいで自然に治る。暖かくして寝ている、それで十分」とあり、「そうだろうなぁ」と思う。「そうだろうなぁ。予防注射もして、熱も日曜日以降、平熱だし、そうだろうなぁ」と思う。『育育児典』には「(様々な観点から)タミフルは使うべきではない」という見解が書かれており、これもまた「そうできれば、そうだろうなぁ」と思う。しかし、小児科からはタミフルが処方され、「きっちり5日飲むこと」と念を押された。飲み忘れ防止のためのカレンダーも付いてきた。小児科の先生からのお話も聞き、薬剤師さんの説明も聞いた。そして私は今、息子にそれを飲ませている。「万が一の事故を予防するための予防的な対応として、服用を始めてから少なくとも2日間は、お子様が一人にならないように」と説明書きがある。ウーン。今日で服薬3日目。確かに、服用後(特に朝)、息子は荒れる。大荒れである。薬のせいなのか、体調が悪いからなのか、単に眠いからなのか、外に行きたいからなのか、はっきりは分からないが、とにかくこの2日は荒れた。今朝は、気分を変えようと暖かくして外へ連れて行ってみたが、けっこうな寒さだったので、手を握って「もう帰ろう」と説得。「まだまだかえらない!」と頑張る息子を抱っこして連れ帰った。玄関のドアの前で「あけてー!」「いきたいー!(「痛い!」に聞こえないこともない)」と大泣き。近隣住民に大いなる誤解を与えそうなので、茶の間に移動。脱がされまいとジャンパーの裾をしっかり掴み、はっきり「おそといきたい!!」と発語する息子に、うっすら感動する私… いや、そんな状況ではないのだが… とにかく、しっかり様子を見ています。
(子供を育てていると、このようなジレンマはよくある。どちらが正解と明言することは、今の私にはできないし、これからもきっとできないだろう。ただし、考えることなしに何かの言いなりにはならないようにしているつもり。納得した上で、息子の様子を見ながら、何事も進めたいとは思っている。思ってはいるけども… 「正しい」かどうかなんて、分からない。とにかく決断したことを信じるのみ。色々な考え方があるだろうけれども。)

というわけで、息子は今週いっぱい登園禁止。またまた私も欠勤中である。2、3日休むとなると「ああ…」という気にもなるが、「インフルエンザと気管支炎。今週は登園禁止!」ともなると、諦めがつくというか、むしろ清々しいほどに「ま、しょうがないか!」という感じである。ちなみに昨日は、保育園の保護者会だったのだが、「インフルエンザで休んでいる子の母親(私)→今のところ発症していないが、もしかしたら感染力あり→会場は保育園→会社の決算期が近いお母さん方多数出席(=欠勤できない状況)→もちろん、子供たち保育中(=インフルエンザ問題、超ナーバス)→そこへ感染力あるかもしれない私にこやかに登場→先生方、お母さんたち不安募る」。それで、欠席した。けっこう楽しみにしていたんだけれども、仕方ない。

保護者会は諦めたけれど、私は会社の健康診断へは行ったのであった。大荒れの息子(朝限定)を夫に預け、早朝から巣鴨へ。たっぷり2時間半かけて、体のあちこちを調べてもらった。胃カメラの若い医師は、あまりに下手くそすぎて、鼻血を出しながら呆れた。「鼻の中がむくんでいるみたいで、以前は入ったかもしれないけど、入りにくかった」。…おい!言い訳すんな!むくんでないだろ!冷たく「へー」と返す私(鼻に詰め物)に、背中をさすりながら「…ごめんなさいね」と謝るベテラン看護師さん。おっぱいのエコーも始めてやった。「おそらく私からはほぼ栄養を取っていませんけれど、一応「授乳中」です」と言うと、「そんなことは…」と先生は薄く笑った。商売道具のメンテナンスという感じである。首をねじって画像を見ると、真っ暗いところに白いもや、時折、赤や緑が静かに鋭く光る。いつか見た、遠い国の夜の空爆映像を思い出した。

ものすごくお腹が空いていた私は、クリニックを出ると、めぼしいレストランを探し、巣鴨の町をさまよい歩いた。すると、コーヒーのいい香りがしてきた。喫茶店でもいいな、と思い、香りがする方に歩いて行ったら、磨りガラスの小さな扉。コーヒー豆がご入用の方は遠慮なく、みたいな手書きの貼り紙がしてある。躊躇せずに開けた。左に大きな焙煎機。音を立てながら回転する中に、コーヒー豆がたくさん。工場(こうば)というような雰囲気。小さな扉を開けた、その後の拡がりがすごくいい。音、香り、機械の動き、あらゆるものが、いっぺんにこちらへ「くる」。右手の棚には、コーヒー豆が入った瓶がずらり。うきうき迷いながら、マンデリン、ガテマラ、ブラジル、それに「こんなフルーティーな香り」と嗅がせてもらって決めたモカ・イルガチェフ。100gずつ買う。「ここは、コーヒー豆のお店なんですか?」と、接客してくださった、私と同年代と思しき男性に聞いたら、「コーヒー器具の会社なんです。ほら、これ」と棚の上のドリッパーを指差した。あ、KONO!「うち、KONO使ってます!ちなみに私もKONOです!」と興奮して言ったら、やや面食らったように、しかし穏やかにお兄さんは笑った。「スタンプカード作りますか?」「はい、ぜひ。あ、でも私、けっこう遠くに住んでるんですよ…」「有効期限ないので大丈夫ですよ。…あれ?(机の引き出しの中を探す)…ないなぁ。切れているみたいなので、レシートにハンコ押しておきます」「わー、ありがとうございます。たぶん、来年、健康診断の時また来ます。これ、だいじにしなくちゃ」。小さなレシートを財布にしまい、外へ出た。外の世界は、先ほどとは何も変わらず、静かに灰色に(曇天とアスファルト、それに雑居ビル)広がっていた。ふつふつと、ものすごく嬉しくなった。街にはこんなふうに、サプライズがひそんでいるのだった。すっかり忘れていた。やはり、街は、歩いてみなきゃ。コーヒー豆が入っている袋には、〈創業1925年「河野コーヒーサイフォンの歴史」〉が書かれ、「昭和3年(1928年)河野邸にて初期のサイフォンを使用しコーヒーパーティーの様子」の写真が印刷してある。すてき。

そこからすぐの場所で見つけたイタリアン(地元の良心的なお店という感じ)で、大盛りの菜の花とオイルサーディンのパスタを食べると、30分ほど電車に乗り、着いた駅から10分ほど歩いて、ある人に会いに行った。会うのは1年ぶりくらいだろうか。石油ストーブがもわもわと暑い、窓がない部屋。よく知った応接セットの深緑の椅子は、ずいぶん古くなっていた。先ほど買ったマンデリンを差し上げ、剥製がいっぱいの部屋やチャペルでドタバタしているシーンが登場するクラシックな洋画(イギリス訛りの英語だった)をぼんやり眺める。30分ほどで別れを告げた。お互いにとくべつ話もないのである。帰りしな、少し笑って「おまえ、元気そうね」と言われた。呆れたみたいな、面白がっているみたいな声色で。「はい、私、とっても元気。すこしお分けしますよ」と言って、握手する。やわらかくて、冷たい手だった。

気持ちがうろうろと落ち着かず、駅まで向かう途中にあったチェーン店の喫茶店に入って、コーヒーを1杯飲んだ。隣の席で、同年代と思しきグレーの制服姿(?)の女性が「勉強してるってなんなの。じゃあ、いったい、何の本読んでるか言ってみて。ほら、言えないでしょう。意識が低い」などと、いかにも上司風の女性に説教されていた。何の仕事をしているんだろう。「説教」に全く知性を、愛を感じない。自己満足、あるいは、単なるストレス解消。この上司風の女性だって、きっと同じように「教育」されてきたんだろう。べつの落ち着かなさが加わり、意味もなく鞄を開けると、ふんわりとコーヒー豆のいい香りがして、泣けてきた。隣のテーブルを見る。コーヒーは冷めきって、カップの底に少量ずつ残っており、それがまた哀しかった。言われっぱなしの女性の手は膝の上で丸く、鈍く、だらしなく、暖かそうであった。一気にコーヒーを飲み干し、手袋をせずに、よく冷えた街へ出た。

駅ビルで文明堂のカステラを買い、Joni Mitchellの"Both Sides, Now"をくりかえし聴きながら、私は、夫と息子が待つ家に帰った。夫にコーヒー豆のお土産を渡し、買った経緯を話す。私ほど興奮はしない。私は「もっと喜んでよ!」とふざけて絡んだ。息子は私の胃カメラの写真(十二指腸と胃と食道の写真)を気に入り(シュール…)、うれしそうにカステラを食べた。息子にきっちりタミフルを飲ませ(ヨーグルトに混ぜた)、夫が作ってくれたカレーライスをわいわい食べた。息子はだっぷりと私に甘えた。握ったその手は、やわらかくて、暖かかった。数時間前に会った、冷たい手の持ち主のことを考えた。


I really don't know life at all.

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