2016年2月1日月曜日

非常識

前日、夫と2人だけで1日を過ごし、ほぼお昼寝をしなかったという息子は、私のお腹の上に乗っかって甘えているうちに眠ってしまった。昨日は夫も休み。ほこりだらけのカーペットの上に仰向けに横になり、腹の上に息子、という私は「この本さぁ、すごく面白かったから、Tさんに思わず送っちゃったー」と、洗濯物を干す夫に文庫本を手渡した。へー、と言いながら、夫が私の頭のすぐ上に座る。「ちょっと、面白いから読んでみて」。うんうん、と、ミスターイトウのチョコチップクッキーを箱ごと手元に引き寄せながら、ううん、と咳払いをした。高野秀行さんの『イスラム飲酒紀行』、チュニジアとイランの章を、それぞれ音読してくれた。時どき、「あ、お昼近い。ご飯炊いてくる」とか、「スーフィーの音楽かぁ、こういうの聴いてみたいなぁ」、「ちょっとクッキー食べます」と中断しながら読んでくれた。おつきあいを始めた頃、私の住んでいた寒いアパートの一室で、mono fontana"cribas"のライナーノーツをなぜだか音読してくれたことがあった。彼はこうした音読や読み聞かせにつきまとう、照れ臭さやぎこちなさが全くない。「フツーに」話しているように、読むのである。というわけで、夫が読む『イスラム飲酒紀行』には、ひとりで目読したのとはまた違う味わい深さも加わり、私は涙を流して笑ったり、じーんときたり、「あービール飲みたいなぁ(前の晩飲んだのに)」と思ったりした。レースのカーテン越しに、うららかな日差し。宙を舞うほこりがキラキラと美しい。のんびりとした日曜日のお昼前であった。

2時間半たっぷり眠った息子は(その間、私もずっと横たわっていたわけである)目をさますと、昨晩のカレーを食べ、「ぶーぶー♪」と、彼の車への多大なる愛を感じさせる歌を歌い、自分で拍手をしてにっこり笑った。セサミストリートで、エルモが自作の歌を歌う場面を見たことがあるが、まさにあのまま(スナッフィーは夫、ビッグバードは私だろうか…)である。
15時半過ぎ、そんなごきげんな親子は車に乗って、原宿へ向かった。夫の「上司」と食事をするためである。彼は27才。待合わせ場所で「どんな感じの人?メガネかけてる?」と夫に聞いたら、「オールバックでネイビーのコート、とっても太いズボンを履いている。メガネをかけている時は、昔の文豪みたいな丸メガネをしている」と言う。日曜日の原宿はとんでもない混雑ぶりである。夫に抱っこされた息子は、華やかなラフォーレ原宿のショーウィンドーをじっと見つめていた。私が気取ってラフォーレに入ろうとし、くるっと振り返ると、息子はなぜか爆笑。お母さんが気取った風情なのが可笑しいのだろうか。何度も繰り返す。そんなことをしていたら、あ、来た。すぐ分かった。メガネはかけておらず、夫が言った通りの身なりをしていた。手ぶらでニコニコと現れ、まずハグである。日本人だけど、まぁ、「日本人」ではない感じだ。初対面とは思えない。すぐに打ち解ける。近くに個室座敷のお店を予約していたのだが、「連れて行きたい店がある」と、夫の車で移動。もうついて行くしかない。息子は初めのうち、アイコンタクトを取ろうとする見知らぬ人間(27才)から、緊張気味に目をそらしていたのだが、気になって気になって仕方ない様子。アルゼンチン人の友人と会わせた時と全く同じ状態である。人通りの少ない道で、ベビーキャリアから降ろすと、嬉しそうに駆け出し、時どき、彼を指差して、真剣な顔で頷く。彼は息子のほっぺに何度もキスするが、あまり嫌がらない。しまいには、手をつないで歩き出した。

そこは、原宿からやや離れた住宅地にある、老舗のおでん屋だった。(店構えを見た瞬間、私と夫は「あーこれは大変だ…」と顔を見合わせた。)席に着くのを待つお客さんがずらっと並んでいる。京風の、澄んだお出汁のおでんがふわふわの湯気を上げていた。厨房を囲むようにコの字型にカウンター。20人も入ればいっぱいの店なのだった。お揃いの白い割烹着をぱりっと着た店員さんがきびきびと働いている。眠ってしまった息子をベビーキャリアで抱っこした夫が店内に入ると、「えっ、あれっ」と目が開いた女性の店員さん。私と夫は申し訳なさそうに微笑んだ。彼は「この店はね、上に座敷もあるけど、1年先まで予約でいっぱい。お客さんは業界人が多いけど、近所の人たちも多くて、子供2人だけで来ているのを見たことがある」とニコニコ話す。確かに、子どもが数人いるが、みな小学生くらいである。そして「泣いちゃったら、さっと出ましょう」と朗らかに続けた。彼は彼なりに「気を遣って」くれているようである。都会っ子の彼は小学生の頃、初めてこの店に連れて来てもらったらしい。お店の方々も、特別扱いはしないものの(それがとても良かった)、眠る乳児を抱えた私たちを嫌な顔もせずに迎い入れてくださった。しばらく待って、席に着くと、食べ物の気配を感じると目をさます息子は、ここでもやはり目を覚まし、お隣の方が食べているおでんを指差した。夫は朝昼と、親の仇かというくらい、もりもりごはんを食べてきたので、全くお腹が空いていなかった。さらに、車で来たので、飲酒はできない。かくいうわけで、私が瓶ビールを飲むことになった。どうですか。カウンターのおでん屋に乳児を連れて来て、手酌でビールを飲む母。これ、非常識でしょ。ぜったい、そうでしょ、そう思うでしょ。
息子は餅巾着を食べると「あ、おもち」と言って、食べれるものを食べながら(カレイのから揚げを手に持ってバリバリせんべいのように食べていた…)、ぐずらずにいてくれた。時どき、車のことを思い出してしまい、「ぶーぶ、あっちー」と動きを激しくする。持参したバスや救急車のミニカー、働く車の絵本で飽き足らなくなると、夫がそっと店外に連れて行き、フレッシュな空気を肺に入れて、また戻ってきた。狭いカウンター席の後ろを時どきゆっくり行ったり来たりする夫と息子。お客さんや店員さんは内心「非常識」と思っていたかもしれないが(私は内心、ハラハラであった)、睨まれるわけでも、何を言われることもなく、1時間ほどで店を出た。帰る時、椅子の下に落ちた割り箸を拾い、卓上を片付け、「おさわがせしてしまって、申し訳ありません」と頭を下げたら、微笑みながら「いえいえ、お忘れ物ございませんか?」と気遣ってくださった。

27才を送ってから、家へと帰る途中、息子は「Xちゃん、バイバイ、Xちゃーん」と彼の名前を何度も口にした。「Xちゃんのこと好き?」と聞いたら、じっとしている。「でも気になるの?」と聞いてみたら、「うん」と言う。おー、微妙な「好き」「きらい」「でも気になる」、自分の心の状態を表すことができるんだね。もう一度「好きなの?」と聞く。答えない。「そうかー気になってるんだねー」と言うと、目も合わさずに、首をガクンガクン(うんうん)と振った。「また会いたい?」と聞くと、じっと考えてから「また、あう」と言った。

私はここ数年の間、例えば、小林秀雄について、20代の男性と「フツーに」話したことはなかった。(ランボオつながりで竹内健さんの名前を出した時、通じたことも初めてだった。)夫は初め、彼が多岐にわたって何でもかんでも知っているので、「ほんとに分かってんのかなぁ」と思ったこともあったらしい。でも分からないことは「それ、なんですか?」と聞くし、話をしてみると、勿論ちゃんと分かっているので、「天才っているんだなぁ」としみじみ感心したとのことだった。彼との会話は、強豪テニスプレイヤーとのテニスのようであった。今日は、じっとホットカーペット(掃除済み)の上に座って、知的刺激によって思い出したあれこれを確認せんと、本棚からいろいろな本を引っ張り出しています。筋肉痛の時、ストレッチするみたいに。彼を送って行き、夫の車が走り出してしばらくして、ふっと思い浮かんだ詩があった。中原中也の詩である。


野卑時代

星は綺麗と、誰でも云ふが、
それは大概、ウソでせう
星を見る時、人はガッカリ
自分の卑小を、思ひ出すのだ

星を見る時、愉快な人は
今時滅多に、ゐるものでなく
星を見る時、愉快な人は
今時、孤獨であるかもしれぬ

それよ、混迷、卑怯に野卑に
人々多忙のせいにてあれば
文明開化と人云ふけれど
野蠻開發と僕は呼びます

勿論、これも一つの過程
何が出てくるかはしれないが
星を見る時、しかめつらして
僕も此の頃、生きてるのです

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