2016年1月31日日曜日

はなせば、わかる

息子と同じクラスのMちゃんは、おゆうぎ会で、最後まで定位置から動かず、楽しげに振付を最初から最後までやってみせた。我が息子は、センターポジションであるにも関わらず(また熱を出すほど自主練したにも関わらず)、私と夫の姿を認めると、こちらへ来たくてしようがない様子で、振りは最後の「おててひらひら」のみであった。ま、仕方ないし、それはそれで面白かった。ある日、息子を迎えに来てくれたMちゃんの手を握りながら「おゆうぎ会、最後までちゃーんと振りをしていたのはMちゃんだけだったね。すごいね。上手だったし、私、感動したよ」と言った。傍らで息子が「Mちゃん、やったー、くしゅん(振付の中のひとつ)やったー、みた、みたー」とウンウン頷きながら言う。Mちゃんは、じっと私を見て、ゆっくり深く頷いた。
同じクラスのKちゃんのお母さんが、息子が落とした手袋を拾ってくださった。またしても私はKちゃんの手を握りながら、「Kちゃんのママが手袋拾ってくれたよ。ママ、優しいね。優しいママでKちゃんは幸せだねえ。だからKちゃんも優しいんだね」と言った。Kちゃんも、じっと私を見て、ゆっくり深く頷いた。
そうそう上手く言葉を発さない1才児ではあるけれども、ほぼほぼ100%こちらの話を理解しているのである。何より、私の言葉の向こうにある、私の気持ちを、MちゃんやKちゃんは汲んでくれた。確信がある。私も「伝わった」嬉しさはあるけれど、子供たちにもあるように感じる(ビシバシ感じる)。自分の気持ちが相手に伝わるって、こんなにも嬉しいことなんだと実感する。

珈琲豆を買いにいつもの喫茶店へ行く。マスター「俺はねえ、25の時にはじめてパリに行ったの。もちろん、フランス語なんて話せない、英語もダメなの。だからってわけでもないんだけど、ゆっくり気持ちを込めて日本語で通したよ。レストランで注文する時も日本語。でも、注文した通りに出てきて感動した。何でもかんでも英語で対応するってのも、なんだかなぁって俺は思う。要は気持ちでしょ」。私はラヒリが『べつの言葉で』の中で、彼女がローマに移住して、店員さんに「May I help you?」この丁寧な4wordsに傷つけられるという話を思い出していた。私の夫はアルメニア人だろうが、日本語も英語も通じないアルゼンチン人だろうが、まったく「フツー」の感じでコミュニケーションをとっているところをよく目撃する。「言葉が100%通じないほうが、仲良くなれる感じがする」と、のんびりと言ったりもする。その話をマスターにしたら、マンガのように右手の指をパチンと鳴らし「サイコー!俺、だんなさん、好きだわー」と喜んだ。英語で対応することも、必要なことはある。要するに、相手によるってこと、気持ちが大事ってこと。

今夜は朝から晩まで息子のお世話を夫に託し、仕事終わりに、お隣のお店の方と飲みに行ってきた。彼女は、非常に感じがよく、仕事ができる女性。単にそういう印象だったのが、ある時、「あ、このひと、ただ感じがいいだけじゃない。核に裏暗い何かがあって、それが彼女の魅力を支えているのだ」と確信することがあった。それで、飲みに誘ってみたのである。30代も後半になると、新しい同性の友人はできにくい。ものすごく楽しい時間を過ごせるか、もしくは、お互い気を使いすぎて疲弊して終わるか、一か八かであった。結果、とても楽しかった。ちょっとびっくりするくらい、(少なくとも私は)腹の底を裏返すようにして、話をした。1件目は雑雑とした台湾料理の店だったのだが、相席のカップルとか、おじさんが若い女(女性ではない、女)を連れている様とか、ゆらゆら目に入れながら、楽しく飲んだ。紹興酒のとろりとした赤が小さなグラスに注がれる、その速度で、「あー、雑雑とした世界に生きていて嬉しいなぁ。ライヴの会話はやっぱり最高だ」と思う。

午前0時過ぎ、帰宅した。そっと玄関を開けると(ちなみに鍵がかかっていなかった!)、あらゆる電気がつけっぱなし、使用済みのバスタオルはテーブルの上に置かれ、「トミカ」の車一覧表、『のりもの300』、都営バスレプリカ、ミニカー各種が散乱。ソファの上にそっと荷物を置くと、サウンド絵本から救急車のサイレンが鳴り出した。あちゃー。「ママー」とぐずる声が聞こえたので、寝室に行くと、夫が息子にぺったりと寄り添って眠っていた。「かあちゃんは帰ってきたよ」と息子の背中をぽんぽんすると、夫がへにゃへにゃの声で「ねんね、ねんねだよー」と言う。その言葉に応えるように、息子はすうっと眠ってしまった。なんだ、これ。めちゃくちゃ面白い光景である。実は、夫が息子と二人だけで1日を過ごすのは今日が初めて。今、夫は軽くいびきをかいて眠っている。よほど疲れたんだろうなぁ。でもきっと楽しかったはずである。自分が産んだとはいえ、息子と私は別の個体。100%分かり合えるなんて無理だろう。でも、分かろうとする、それが大事だと思う。「他人」である夫とは尚更。もちろん、他の人たちとも。よく言う「空気を読む」なんてことはしたくない。勘を研ぎ澄ませて、空気の流れの微妙な変化は感じ取ってみたいけれども。言葉にすると、つまんないな。分かろうとする、相手の核に一瞬でも触れた気がする、お互いに共鳴したみたいになる、そういうライヴ感のある会話、コミュニケーションを私は求めています。今年で40だし、もう、うわべだけのおつきあいは、いいかげん、いいでしょ。

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