2016年1月23日土曜日

あと、さき、ぐるり

寺門孝之さんの絵に出会ってから11年。初めて見た絵は映画『赤目四十八瀧心中未遂』を描いたものだった。「この映画が好きすぎて、描いてしまいました」と、たしか、寺門さんは仰っていた。それは、でっかい絵だった。落ち着いたゴールドの額に収まってはいたけれど、なにか、収まりきらない、なんといったらいいんだろう、衝動みたいなもの、いや、憑依のようなもの、不可視の存在の気配のようなもの、を感じた。きれいで、おそろしい絵だった。実際にお会いするまで、このような絵を描くひとは、きっとおっかない人に違いないと思っていた(それは見当はずれで、しかし、ある意味では当たっていた。ものを作る人は皆「おっかない人」であるのだから)。この絵を思い出すたび、なぜか、真夜中、指に火を灯して、ひとり絵を描く男の光景が浮かんできた。

仕事を終え、表参道にあるPinpoint Galleryへ、『寺門孝之「AT WORK 展」』を見に行った。地下への狭い階段を降り、ドアを開け、一番最初の絵、『りんご到着』。隣のバナナは『バナナ』。でも、りんごは柔らかな白いスチロールの網をまとって「到着」。なるほど。これら果物と同様、あかるい色の、さまざまな絵が壁に並んでいる。私はまずざーっと目薬を入れるように、流して見た。そして、またはじめに戻って、今度はじっくりと見た。ふつふつと嬉しくなってくる。また一方で、忘れていたことを思い出しそうな、よるべない気持ち(嫌なものでない)も、じわじわと染み出してくるようだった。

絵本『ぼくらのオペラ』を買う。この絵本を買うのは3度目。1冊目は友人へ、2冊目は甥っ子へ、今回は息子に。偶然、在廊されていた寺門さんが、最後のページにサインしてくれた。息子の名前、太陽とチューリップを修正ペンで書いてくださる。(前にも書いたことがあるけれど)映画の仕事をしていた頃、登場人物に名前をつけることになると、ボスから「名前をつけるとは、呪いをかけること。いいか、いい呪いをかけろよ」と言われた。てらぴか象形文字(?)で書かれた我が子の名前を見ていたら、息子にかけた呪いは、いい呪いであるような気がしてきた。サインしてくださっている寺門さんの横、ギャラリーの真ん中に立って、360度ぐるり展示されている絵を眺める。どれも、いい呪い(いいタイトル)がかけられていた。呪い、切実な祈り。カーッと頭が熱くなった。耳がキーンと遠くなりそうだった。

寺門さんと短くお話して、外へ出る。街はしんと冷えていた。近くにあるスターバックスへ入って、カプチーノを飲んだ。今、夢中で読み進めている本を開いてはみたけれど、戻ることができないこの11年間のあれこれ、得たもの失ったもの…が胸に去来して、すぐさま本を閉じた。誰かに手紙を書いてみようかとも思う。でも、それもやめた。何食わぬ顔をしてカプチーノを飲み干し、乱暴にナプキンで口を拭う。センチメンタルな気分で駅へ向かった。夕方の急行電車はやや殺伐として、隣の男性に少しだけ肘が当たったら、ぎろっと睨まれ、ぐいと押し返された。窓の外は真っ闇である。

今、読んでいる『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(高野秀行、清水克行 著)によると、戦国時代くらいまでの日本人、そして世界各地の多くの民族にとって、過去は過ぎ去った景色として目の前に見えるもの(サキ)、未来は予測できない=背中側(アト)にあるものだったらしい。それが日本では16世紀になると、「サキ」という言葉に「未来」、「アト」という言葉に「過去」の意味が加わったそう。「神がすべてを支配していた社会から、人間が経験と技術によって未来を切り開ける社会に移行したことで、自分たちは時間の流れにそって進んでいく認識に変わった」(p.76『世界の辺境とハードボイルド室町時代』)。私の11年(過去)は確かに背中側にある。私はそれを背負うようにして、時を生きている感じがする。でも過去であるはずの「失った夢」は、目前で見ているような気がする。… あたまが悪い私は軽く混乱して、そっと目を閉じた。先ほど見た寺門さんの、舟の上の原節子と笠智衆の絵がまぶたの裏にぽっかり浮かんで、消えた。目を開くと、車窓に映る自分の姿。11年前より、きっと、イマがいい。11年後も、そう思えているといいな、いいな。

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