2015年8月17日月曜日

いい写真

昨日行った内科に置かれていたdancyuを何気なく手に取った。5月号だったかな。中華料理の特集だった。巻頭に編集長の文章「春巻きと万馬券」。これがとてもいい文章だった。編集長さんが若かりしき時、最寄駅と自宅の間にある2坪ほどの本屋さんで競馬新聞を買い、その隣の中華料理屋で春巻き定食を食べた。春巻きを食べていたから「春」がつく名前の騎手に、本屋の店主が飼い犬を「ハチ、ハチ」と呼んでいたから8にかけた。それで翌日、万馬券が当たった、という話。添えられていた大橋仁さんの写真も、とてもよかった。私は物心つく前から、大好きな祖父に連れられ、日曜日は競馬場に通っていた。まだ、馬券を窓口のおばさんから買う時代。透明の壁にやり取りのための小さな穴(というのかな)と、声が通るための穴穴、その向こうにたくさんのおばさん。焼きそばを買いに行っている間に祖父を見失うと、おばさんが「おじいちゃん、あっちにいるよ」と教えてくれたりした。通路の端に赤ペンで印が付けられた用済み皺くちゃの競馬新聞とハズレ馬券。食べ物と人間と正体不明のすえたような匂い。暗い湿ったコンクリの建物から出て、馬が走る姿を大勢の大人に混じって見る。祖父は、勝った負けたを言わない人だった。でも、たまに馬刺しを買ってご馳走してくれた。あ、勝ったんだな、と子供心に思った。馬で勝った金で馬を食う。競馬場。ひさびさ行きたいな。そんな思い出をぐいーっと引っ張り出してくれるような、匂い立つような写真だった。

ページをめくっていくと、ある中華料理店の紹介では、久家靖秀さんが写真を撮っていた。目に入ると、ハッとするような、切れ味のいい清清しい写真。お料理も人も店内も。それで考えてしまった。なんでしょうね。私みたいなシロウトが一瞬で「ああ、いい写真だな!」と思う、この感じって。好みもあると思う。でも、好みを超えて、ずきゅーんと感じ入るものがある写真。自分が忘れていたことまで引っ張り出してくれる写真。「ここではないどこか」へ連れ去ってくれる写真。所有したくなる写真。
初めてちゃんとdancyuを見たけれど、「プロ」の写真家による写真がぜいたくに載っていて、感心してしまった。お料理が美味しそう。お料理作っている人の顔がいい。うん、いい写真はいい。当たり前のことかもしれないけれど、最近は、誰でも「それっぽく」撮れてしまって、なんとなーく「いい感じ」になってしまう。私、これに、ものすごく抵抗あるし、反感があるんです。ちょっと怒りさえ感じているんです。私ごときがこんな生意気言ってすみません。
あ、それで思い出したけれど、映画『ノルウェイの森』が公開になる時、いろいろな雑誌の表紙に松山ケンイチさんの写真が載った。どれも似た感じに見えた。それが、CUTだったかなぁ、一誌だけ、他とぜんぜん違う松山さんの写真があった。高橋恭司さんの撮影されたものだった。本屋さんの平台で異彩を放っていた。目に入った時、ハッとした。目玉を引き抜かれるようだった。カメラがあれば誰でも撮れる写真。でも誰にも撮れないような写真を撮る。プロは凄い。こわい。

ヘルパンギーナもだいぶよくなってきて、横になりながら、そんなことをぐるぐる考えていたわけです、今日。なんだか眠れなくって、のそのそ起きてきて、夫とSADEのアルバム'lovres rock'をめちゃくちゃ久しぶりに聴きながら、これを書いています。ちなみに、読書欲も湧いてきて、読みたい本を検索してみたら、どれひとつ近所の本屋には在庫していなかった。高見順、山田風太郎、魯迅の文庫。今はどこもセレクトショップ化していて、本棚のジャングルで、我を失うみたいなこと、起きなそうです。ああ、何かに我を失ってみたいよね。我を失って、不可知な、不可視な、不可触な、絶対的な、実は実体がないかもしれない何かに、一瞬でも触れることができる芸術。私が中途半端な存在だから、そういうものに焦がれるのかな。息子の汗ばんだ頭の匂いを嗅ぎながら、母はそんなことを考えていたのです。明日はもっと体調が戻るといいな。こんなこと書いていないで、早く寝ないとね。隣室から息子のすこやかな寝息が聞こえて、夏の曲がり角、夜。

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