2015年7月9日木曜日

The Circle Game

昨日、保育園に息子を送っていく途中。「使い終わった」七夕の笹を積んだ軽トラック。赤い短冊が風になびいていた。はっきり見えなかったけれど、誰かさんの長いお願い事が書かれてあるようだった。雨で落ちた街路樹の葉が踏まれて、アスファルトに焦げたように残る葉の形。それを踏みながら、行き急ぐ無数の黒い足。住宅街の一角で濡れている、粗大ゴミのシールが貼られた黒い革張りの椅子。それを小学生の女の子2人組がそっと触って、ひそひそ話していた。幼稚園バスを待つお母さんが履くルブタン、エネメルのウエッジサンダル、クロックス、ニューバランス。その上空を、ゴルフボールをくわえて飛んでいくカラス。息子は右斜め上を指差し、アーと発声する。どんよりした梅雨の朝、のったりと時間が過ぎていく。

彼らのためというよりは、自分のために、私は若者たちに自分の思っていることを話そうと思った。保育園に息子を預け、駅までの道を歩きながら、口の中で言いたいことを反芻する。まるで全校集会でのスピーチの練習をしているみたい。話すタイミングも重要だ。どう切り出したらいいかな。怒りが発端で滲んだ哀しみは、だらしなく拡がって、私を内側から汚く溶かすようだった。
結果、私は言った。冗談から入って、真剣に、思ったことを言った。最後には、励ました。彼らは真面目に聞いていたけれど、伝わったかどうかは分からない。でも、もういいのだ。言うことは言った。しかし、ものすごく疲れた。10才くらい年を取った気分である。頭痛がひどいのは、気圧のせいだろうか… よくイライラしていたり、やたら怒っている人がいるけれど、体力あるなぁ。

仕事帰りの電車は空いていた。セール初日の百貨店の袋を数個抱えた女性たち。グレーが濃い空気の中、彼女たちはひときわ鮮やかに、輝いていた。電車を降り、重い体を引きずって、保育園へ向かう。大きな公園の前の信号あたりで、細く短い雨が降り始めた。

Yesterday a child came out to wonder
Caught a dragonfly inside a jar 
Fearful when the sky was full of thunder 
And tearful at the falling of a star 

Then the child moved ten times round the seasons
Skated over ten clear frozen streams 
Words like when you're older must appease him 
And promises of someday make his dreams

And the seasons they go round and round 
And the painted ponies go up and down 
We're captive on the carousel of time 
We can't return we can only look 
Behind from where we came 
And go round and round and round 
In the circle game 


シャッフルで聴いていたiPod。Joni Mitchell"Travelogue"から"The Circle Game"が流れ始めた。降り出した雨に、道行く人々はそれぞれの傘を開く。私もバッグから折り畳み傘を取り出そうとして、やめた。息子と一緒の時は、雨が降れば必ず傘をさすので、こうして雨に濡れるのは久しぶりだった。みるみるサングラスに雨の水玉ができていく。ひとつひとつに、淡い光が溜まっている。大きな欅の下で、鳩がかたまって雨宿りをしていた。

Sixteen springs and sixteen summers gone now 
Cartwheels turn to car wheels thru the town 
And they tell him take your time it won't be long now
Till you drag your feet to slow the circles down 

And the seasons they go round and round 
And the painted ponies go up and down 
We're captive on the carousel of time 
We can't return we can only look 
Behind from where we came 
And go round and round and round 
In the circle game

聴きたいものは、ほぼ何でも聴ける時代。でも、こんなふうに偶然耳にした音楽に心を掴まれることがある。それは、これから時代が変わり、人間から盲腸という臓器が消えても、きっと変わらないだろう。何度も聴いて知った曲が、まったく新しいものとして、響くことがある。そういう時は、歌詞が、ダイレクトに頭に入ってくる。Joni Mitchellの声帯の、弦楽器の弦の、サックスのリードの震動が、私の心の震えと同調しているように感じた。空気がある世界に私は生きている。音楽が、単なる空気の振動(震動)としてではなく、魂の栄養として機能する生命体として、生きている。大きく息を吸って、吐いた。

So the years spin by and now the boy is twenty 
Though his dreams have lost some grandeur coming true
There'll be new dreams maybe better dreams and plenty
Before the last revolving year is through

保育園から帰ると、息子は夕食をもりもり食べ、あっという間に眠ってしまった。しばらく抱いていたけれど、1時間半を過ぎた頃、そっと布団に寝かせてみた。ふだんなら、背中センサーが反応して、目を覚まして大泣きする。しかし息子は眠り続けた。熱でもあるのかと思ったが、そういうことではないみたいだ。お風呂に入れるのを断念して、息子の体を拭き、着替えさせた。息子と私は一心同体である、とは思わない。息子は息子、私とはべつの生命体なのである。それでも昨夜は、この子はかつて、私の肉の、内臓の一部だったのだという考えが、ふと頭をかすめた。私の疲労をそのまま引き受けたかのような、深い眠り。消耗した私は、確かに余裕がなくなっていた。その影響を受けるのは、息子と夫である。何のために働いているのか。働くなら家にネガティブな空気を持ち込まないのがルールだろう。そんなことを、回らない頭で考えながら、息子の横で私も眠ってしまった。ひどい顔で午前2時に目がさめると、夫が常備食の本を見ながら、おかず3種類を作っていてくれた。ぴかぴかのシンクを目に入れながら、うまく感謝の気持ちを表せなかった。

今朝、コーヒーを淹れてくれた夫に、昨夜のひどい態度を謝った。ひとのことを怒っている場合ではない、この未熟さである。夫は気弱な笑顔を浮かべ、許してくれた。
外は雨。今日の雨は、私の中のすり減って熱くなった部分を、静かに冷やすようである。以前、夫が2階から撒いたさくらんぼの種は、ピンクの果肉を失って、土の上で雨に濡れていた。もしかしたら本当に、芽が出るかもしれないね。

And the seasons they go round and round 
And the painted ponies go up and down 
We're captive on the carousel of time 
We can't return we can only look 
Behind from where we came 
And go round and round and round 
In the circle game

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