2015年7月8日水曜日

断絶

先週、20代半ばの男の子(あえて男の子と言わせていただきます)にキレた。「なめたことしてんじゃねえ」と、久々に啖呵を切ってしまった。あっ、ヤバい、と思って、怒りの塊を飲み込んだ。鉛を飲むように、どっしり重く、胃がもたれるようだった。この件に関しては、もう何も言うまいと思っていたのに、今日になって(実は昨日からなのだが)、ああ、うん、でも、もう説明するのも不愉快である。怒るのにはパワーが要る。愛情も要る。今回の怒りの後には、虚しさと哀しみが深く残った。体に力が入ったのだろう、肩のあたりがこわばって、腕がだるい。私は普段、あまりストレスを感じない。でも、昨日今日、ものすごいストレスを感じた。彼は私の言葉が何も響いていない様子。おどおどへらへらと「すみませんでしたー」と言ってくる。私は彼に対して全く愛情がないので、怒るのをやめた。解っている。彼の目を見れば、彼がとんでもなく弱いということは。自分の弱さを誤魔化そうと必死なことも。さらには、彼と近い世代の人たちから「どこが怒りの沸点だったのか」と尋ねられ(この質問自体に心底驚いた)、説明しても、彼らには私が怒った理由がイマイチ理解できないようである。「いやー何も言えないなー」「こわーい」と言われてしまった。ものすごい徒労感である。なんなんだ、これは。ショック。人の気持ちが分からないのだろうか。人とぶつかることを避けて、逃げて、どうなるんだろう。始まりは、大したことではなかったのかもしれない(いや、大事なことだったんですけれども)。でも私は考え込んでしまった。

息子を保育園に迎えに行き、短冊や飾りのついた笹をいただいて帰る。今日は七夕。私は、飲み込んだ鉛の塊のことは忘れて、歌を歌いながら、息子と雨の中を歩いた。厚い雨雲の上の数多の星を感じながら、夜を迎えた。

いつものように、お風呂の前に、洗い物をしようと台所へ立った。サランラップとキッチンペーパーの芯で遊んでいた息子は、私が台所へ行ったことに気づいて、大泣き。はじめは「ここにいるよー」などと声をかけていたのだが、激しく泣く声に、頭の中が白濁としてしまった。そのうち、胃袋の下の方から鉛の塊がじわじわと食道を上がってくるのが分かった。息子は両足をぴんと伸ばし、おすわりして、激しく泣いている。頭が、胃がぎゅーっと痛くなった。大泣きしながら息子は、ハイハイで段差を越え、台所へやってきた。私のふくらはぎに顔をつけて泣く。顔を離して、また近寄って、手で私の足を触る。あたたかくて、泣きそうになる。食器を洗う手を止めて、息子を抱っこすればいいはずなのに、私は憑かれたように洗い続けた。ちらっと息子の方を見ると、どうやら泣きすぎて、ミルクを吐いたらしい。右手の人差し指で、吐いたところをそっと触っている。脚とお尻で拭こうとしているのかもしれない。お座りした両脚をえいやえいやと動かして、液体を拡げて泣いている。胸が締め付けられるような気持ちになって、私は蛇口を閉め、濡れた手そのままで息子を抱き上げた。つんと酸っぱい胃液の匂い。私の代わりに、鉛を吐き出したようだった。この子がいなかったら、私は、しばらく飲み込んだ塊に支配されていただろう。

息子をお風呂に入れようとしたところで、夫が仕事から帰ってきた。ふわふわのお布団の上で、家族3人ごろごろしているのが嬉しくて、息子はなかなか眠らなかった。ようやく眠って、夫に今日あった出来事を話した。口から毒素が抜けていくように、胃の痛みがスーッと軽くなった。「私が怒っている原因を、35才以上はみんな解るわけ。説明なんかしなくても、解るんだよ。でもさ、説明しても分からない人たちもいて、年のせいだと言いたくはないけど、34才以下は解んないんだよ。こうやって、人の気持ちとか解んない人たちが大半になって、そのことを説明すらしなくなって、なんかさぁ、どうなっていくんだろうって思っちゃった。こういう世の中で、子供を育てていくって、どういうことなんだろうとかさ。想像力が欠如してるとか、それ以前。これから映画とか、変わるだろうなとかさ。今までだったら「よくある話」がSFになる日も近いね。あたしは明日、言うよ。自分を怒っている人をかわして、へらへらして誤魔化して、それがどれだけその人を傷つけるか知った方がいいって。いまさらだけど。あーあんなやつのことをこんなに考えている自分が不愉快」ー息子の寝息が響く暗闇で、そんなことを小声で話していたら、夫の目のふちはプラムのような赤色になった。「おみやげにアイス買ってきたから食べようよ」。というわけで、こんな夜に、アイスクリームを食べたのである(私は夫の分も半分以上食べた)。あー美味しかった。ちなみに、お昼は「この怒りを巻いてしまいたい」と、インド人の豆カレーを食べた。美味しいものは、怒りを和らげる。哀しみも。

以前、映画の仕事をしていた時、ボスから「いい加減なことしてると、かるーく扱っちゃうぞ、このやろう!」と言われた。「軽く扱われる」、それが私にはとても恐ろしいことだった。見切りをつけると、ボスは、その人を全く怒らず、なまぬるーく優しくした。側で見ていて、恐ろしかった。今でも、中途半端なことをしそうになると、「かるーく扱っちゃうぞ、このやろう!」を思い出して、ひゅっとする。そんな私が今、人を「かるーく扱おう」としている。それもまた恐ろしい。

怒と哀は、喜と楽にサンドされている。明日のお昼は、美味しいサンドイッチ食べに行こう。カミカミによく噛んで、腹の中で消化してやる。なんて、美味しいもの、食べる口実。お腹がいっぱいになったら、怒りの元は忘れよう。おっかないおばさんで、かまわなくてよ、ごめんあそばせ。

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