2015年7月13日月曜日

日日

或る日、
2週間前に買った絵が届く。絵を買うなんてこと、自分の人生にはあり得ないことだと思っていた。しかし、買った。遂に、買ったのである。nakabanさんの『コンサートの夜』というタイトルの水彩画を。nakabanさんに初めてお会いしたのは、2011年頃だったか。共通の友人が主催するコンサートのお手伝いで知り合ったのである。ある時、受付の準備をしていたら、nakabanさんがにこにこしながらやってきた。おしゃれで優しげな画家さん。それまではそういう印象だった。しかし、話をしてみたら(不思議な魅力のある声の持ち主だった)、nakabanさんは闘う人だった。意地悪のスパイスも、ちゃんと持ち合わせているようだった。見えないマントを翻すようにして、軽い足取り。でも瞳はひかひかと野生に光っている。私は確信した。こういう人は信用できる。それからしばらくして、nakabanさんは広島へ引っ越されることになった。数人が集まり、湯島のバー「道」で、送別会のようなものが催され、私もお声がけいただいた。そこには、現在私の夫となっている人が、にこにこと座っていた。「この人も来たのか…」と思いながらも、私は顔に出さなかった。その時私は、名刺代わりにと。手作りの小冊子を人数分+1部用意していた。「この人にも渡すのか…」と思いながら、予備の1部を、しぶしぶ夫(となる人)にも手渡した。あれこれおしゃべりをして、楽しく飲み、夜が深くなった頃、解散となった。nakabanさん、夫(となる人)、私の3人で電車に乗った。何を話しただろう。とにかくnakabanさんは、さらっと降りて行かれた。風のようにふいっと出口から外へ出て、また電車は走り出した。それから数時間後、夫(となる人)から、小冊子の感想がメールで届いた。感想をすぐにくれる人は珍しく、うっかり翌日会う約束をしてしまった。その小冊子に取り上げた三軒茶屋の喫茶店に行った。お店の女性に小冊子を渡すと、すこし考えるようにして、「これと同じものを持った方が先ほど来てくださいましたよ。この絵を描いている方」と、ある雑誌の表紙を示した。それはnakabanさんの絵だった。ああ、なんてことだろう。旅立つ日に、私の小冊子を読んで、此処に。私も夫(となる人)も、息を飲んで、静かに感動した。電球のあたたかな光に照らされた、木のテーブルの上の、4つの拳。うっかり一緒に感動してしまった。共感が2人の距離を縮めたのだろうか。その1ヶ月ほど後で、私たちは付き合い始めた。そんなこともあって、いつか、nakabanさんの絵を、家に飾れるようにしたいねと話し続けてきたのである。そのためにも、一生懸命働こうではないかと。先日、息子と吉祥寺で行われていた個展へ行き、決めた。『コンサートの夜』。電球の列の下のステージ。3人が演奏している。太鼓、アコーディオン、何がしかの弦楽器(ギター?バンジョー?リュートかもしれない)。ちいさくちいさく音楽が鳴っているように思えて、皆が寝静まった夜、そっと耳を澄ましてみる。

或る日、
行きつけの喫茶店へ行く。カツカレーを注文。目の前の席に、キャバクラ店の店長とキャバクラ嬢というような2人組。男(40代だろうか?)が「君の性格が悪いのは」などと言って、女の子を叱っている。不味そうに煙草を吸って、にやつきながら「2000万」とか「250万」とか「1枚1000円として20人に売って」などと言っている。どうやら女の子は音楽をやっているらしい。「お客さんが20人来たとして、君の歌を聴きに来たと本気で思ってるの?キャバクラに1万円払えないおじさんが、2000円で握手して写真も撮れる君のところに来てるだけでしょ」と、目からウロコ以外のものも落ちていきそうな話をしている。女の子は「はー、はー、うんうん」などと聞いている。その隣のテーブルではおばさん3人が、年金やご近所トラブルのことを話し合ったり、「あたし、死んで焼かれたら、腕からボルトが3本出てくるよ。そしたら、それ、おにいさんにあげるね」と店員さんに話しかけたりと、隣のことなど全く気に留めていない。私は気になる。女の子の顔が見てみたい。どんな音楽をやっているのかな。「コンセプトがしっかりしていないと、売れない」と厳しく言う男。コンセプトか… お冷やグラスの水滴が、テーブルを濡らしていた。「コンセプトがなんぼのもんじゃい!」ーそんな風に、ぬるくなったグラスの水をかけてやることもできるんだよ、あなたは。「ディストリビューターって分かる?」という言葉を背に、店を出た。

或る日、
役所に面接に行く。自治体の主宰する子育て会議の委員選考面接である。保育園の掲示板で、募集していることを知り、小論文800字を書いて、応募した。黙って応募しようとすると、くじけるな、と思い、園長先生やお母さん方に「私、これ、出しますよ!」と言いまくり、縛りをかけて、応募した。久しぶりの小論文、難しかった。800字、この字数。それでも書き上げて、えいやと投函したのである。役所のある街は、平べったいセットのような建物が並ぶ地方都市の趣。餃子、中華料理、焼肉屋、風俗店、スナック、弁当屋、農協、葬儀社。エレベーターを降りると、30代のメガネの男性に名前を呼ばれた。お出迎えしてくれるんだ。50代の局長、同世代と思しき女性、先ほどの男性と面接。40分ほどあれこれ話す。緊張しない。みなさんも笑ったりして、リラックスした雰囲気。「硬い会議ですが」と言われたので、「だからこそ、私が必要なんじゃないでしょうか。硬い会議で決まったことを利用するのは私のような町場のお母さんです。私が理解できなければ、他のお母さん方だって理解できないでしょう」と、きっぱり言った。気持ち良く帰ろうとしたら、駅の改札でしゅっとしたノーネクタイのおじさんがいつの間にか背後に来て、私とは一切視線を合わさず「電話終わったら(友人と電話していた)、話がある。いいバイトあるよ。電話終わったらでいいから」と、低く甘い声でささやいた。どういうバイトなのか、ものすごく気になったけれど、「ダメです」とハッキリ言った。去る私の後方から「ダメかー」と、ちいさく聞こえた。いや、ダメでしょ。ふつう。面接の結果は8月。

或る日、
近頃、やたらと消耗していたので、我が青春の映画『恋のゆくえ The Fabulous Baker Boys』を観た。14歳の頃に映画館で観て、ミシェル・ファイファーに心底憧れた私なのである。ビジューの付いた黒いベレー帽、たっぷりしたブラウンのロングコート、赤いショート丈のカーディガン、大人の女のポニーテール、スニーカー。噛んでいたガムを口から出して、more than you knowを歌う。そして歌い終わると、出したガムを再度口に入れて「どう?」と尋ねる。ジェフ・ブリッジスの粗い色気。すてき。セクシーでうつくしいものを人は求める。四半世紀を経て、観直してみたら、ずいぶんと苦い映画だった。時々、胸が、目頭が熱くなった。テロの脅威のない時代の、豊かな大人の映画である。14歳の時に、この映画を観れて幸運だったなぁ。早く大人になりたかった。大人って、14歳の私にとって「いいもの」だった。その頃、心焦がして観た映画で思いつくのは、『カミーユ・クローデル』、『恋のためらい フランキー&ジョニー』、『グリーンカード』、『小さな泥棒』などでしょうか。『トーチソング・トリロジー』もこの頃だったかな。マシュー・ブロドリック、今、どうしているんだろう。襖に、ロードショーの付録のポスターを貼っていたっけ。ー甘い気持ちで肺をいっぱいにしながら、眠る息子の頭の汗をぬぐう。畳の上に仰向けになり、ゆっくり息を吐き出した。まるで寝息のようなレースのカーテンの揺れ。足の裏があたたかく、柔らかくなり始める。そして、いつの間にか、私も眠ってしまう。そんな夏の午後。

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