2015年6月21日日曜日

土曜保育

土曜日出勤することになり、通っている保育園の母体である保育園へ息子を連れて行く。いつもの19人の小規模保育園ではなく、250人規模、区でも1、2位を争う巨大な保育園である。この間、タクシーの運転手さんから「殺人事件が3回起きたところ」と聞かされた場所を通って行く。この保育園に行くためには避けられない道。半トンネルで、暗くジメッとしている。その嫌な感じを打ち消そうとしたのだろう、トンネルに小学生の呑気なテイストの壁画。

インターフォンで「K保育園から来ました」と名乗り、自動ドアを開けてもらう。自動。おお。出迎えてくれる人はいない。どこへ行ったらいいわけ。じっと耳をすますと、右手からかすかに子供の声がする。声がする方へ、とりあえず行ってみる。「さくら組」と書かれた教室(保育室、というより、教室という感じ)には0才から5才までの子供たちが、ごたごたと集まっていた。ショッキングピンクのポロシャツという、某レコード店の店員さんのようないでたちの、顔の濃い男性保育士K先生がにこやかに挨拶してくれた。荷物の置き場所とか諸々、説明を受ける。フェミニンな印象のK先生、あまりににこやかすぎて信用できない感じがしてくる(ゴメンナサイ)。それが息子に伝わらないように気をつけながら、さらっと笑顔で応じる私。 K先生に抱かれると、息子は泣いたけれど、思ったほどではなかった。入口まで息子の泣き声が追いかけてくる。自動ドアが閉まると、その声は消えた。

ちょっと気持ちがくさくさする。土曜日の電車は空いていて、いつもより早く渋谷に着いた。職場の1階にあるカフェでコーヒーを注文。入口の案内板の横に座って、コーヒーを飲んだ。テニスラケットを背負った大学生数人、観光客らしいおじさんとおばさん、リクルートスーツを着た女の子、朝まで遊んでこれから帰るらしい酔っ払った女の子。休日の、晴れた6月の、朝の匂い。高いところで、交差する通路、線路や道路。わりかし澄んだ渋谷で、その時、私の存在は街の一部になっていた。動き続ける街を、ただ、目に入れる。
コーヒーは薬みたいな変わった味がした。さっきまで龍角散のど飴を舐めていたせいかもしれない。ラジオから「世界の快適音楽セレクション」。ベラ・フレック&アビゲイル・ウォッシュバーンが流れてくる。ともにバンジョーを演奏する夫婦らしい。コーヒーを飲みながら聴いているうちに、くさくさした気分はすーっと晴れて、おだやかになった。

土曜日の接客は久しぶりである。いつもより少し忙しいくらいかなー、と思っていたら、意外と大変だった。平日とお客様の感じが違っていて、お客様それぞれとチャンネルを合わすのに一苦労。接客の合間に息子はどうしているかと気になった。息子のことを思うと、胸が痛む。比喩ではなくて、左のおっぱいが、珍しく張って、痛くなった。

18時。迎えに行くと、息子は大好きなT先生に抱っこされて、折り紙で遊んでいた。笑っている。聞くと、ほぼ泣かなかったらしい。K先生に抱っこされているうちに、K先生のことが好きになってしまったようで、うっかり「ぱぱー」と言ってしまったらしい。K先生は「赤ちゃんに最初から好かれることはまずないので、うれしかったです。…男好きかなー?」とふざけて笑った。K先生をじっと見つめる息子…

入園してからずっとお世話になっているT先生は「すごい社交性ですねーびっくり」と、にこにこ顔で息子の頭を撫でてくれた。いつもありがとうございます。「これ、わいろです」と、用意してきたお菓子の包みをこっそり渡す。こういうこと、だめだって知っているので、さっと受け取ってください、と言うと、わーうれしいー、おいしそー、軽く受け取っちゃってすみません、と、すっぴんの笑顔をみせた。こそこそとしゃがんで会話する私たちをじっと見ている視線…
同じ保育園の1才児クラスのO君である。O君、ポーカーフェイスな感じで、いつもはあまり寄ってくるようなことはない。でも、今日は私に近寄ってきた。「おー、O君、今日はありがとうね。私たち、完全アウェーだね」と声を掛けると、人差し指をきゅっと私に向けて、ちいさく「うー」と言う。私の人差し指をつけると、握るように指を軽く曲げた。言いたいことがたくさんあるんだね。O君は、私たちが保育室を出て行くまで、ずっと近くにいた。毎週土曜保育で、ここの保育園に来ているらしい。いつもの保育園からO君ひとり、でも今日は息子とふたり。

家に着いて、息子の洗濯物の袋を開けたら、O君のお食事エプロンとタオルも一緒に出てきた。それを手に取った時、「ああ、O君はだいじにされているなー!」というのが、ズシーンと光の速さで伝わってきた。夕方の洗濯機の前で、燃える夕日を一身に浴びたみたいな、橙色の気持ち。マジックペンでO君の名前が書かれた洗濯表示をじっと見つめた。物には思いが染み込むもんなんだな。そんな、当たり前のような、ガラにもないことを、言葉で思ってしまった。みんなだいじな誰かの子ども。当たり前のことが当たり前の世界になりますように。

静かな衝撃の余韻をからだの隅に残しつつ、ひとり、これを書いています。

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