2015年5月24日日曜日

ダンスと戦争

深夜に教育テレビで放送された『森山未來 踊る阿呆』を録画した。昨日、新聞のテレビ欄を見ていて、パッと目に入って気になったのである。森山さんが2013年10月から1年間、文化交流使としてイスラエルのダンスカンパニーを拠点に活動した日々を、365日自撮りしたもの。今朝、食事を終えて、息子がぐにゃぐにゃ言い出したので、ええいいっそ寝てしまえーと、おっぱいをやりながら、録画したものを観た。おっぱいをちゅっちゅやりながら、ちらちら見ていた息子は、間もなく、おっぱいから離れ、私の膝にお座りをして、一緒に番組を観始めた。

コンテンポラリーダンス。息子が生まれるまでは、機会があれば、ちょいちょい観に行っていた。あー、観に行きたいなぁ。観た帰りはいつだって、魔法がかかったみたいになった。ダンサーさんの身体能力があっての動きなのに、自分もできるような気になるのである。つま先から地に足をつけ、踊るように歩いている、おかしな女、それが私。

小さいテレビの画面の中、踊る森山さんやダンサーの姿に、私は、ついつい無言になって見入ってしまった。息子は「ぼくもやってみたい!」「ぼくにもできるよ!」と言わんばかりに、両手をブンブン動かして、ウーウッアーと上機嫌。へー、そういう反応なんだ。息子は踊る人を観るたび、両手をおいでおいでするようにして、まるでダンサー気取りである。コンテンポラリーダンス。赤ちゃんの動きに似ている部分もないではない。ととんぐにゃぐにゃん、しゃきしゃきっ、たたたとわーっ、だっこだっこざざーっ。

別天地で悶々としたり、マーケットで拾った鮭を料理したり、スケートボードで夜の街を抜けたり、アントワープで日本人ダンサー(「日本人」という注意書き(?)が不要な気がするけれど)二人といきなり「ダンス合宿」をしたり(ダンス談義の中の「うんこってコントロールできない」という会話が最高)。日が経つにつれ、最初のうちはこびりついていた(ように見えてしまっていた)自意識が削がれていくのが爽快だ。森山さんの顔が口調が、どんどん変わる。男の子っていいな。男の子のお母さんになれて、うれしいな。フィジカルであること、リズム感は大事だよなぁ。…そんなことを、しみじみ思っていたら、画面の中の空気が変化。イスラエルがガザ地区への空爆を開始、戦争が始まったのである。空爆の様子が映ったわけではない。森山さんの住むアパートの窓の外の様子が映り、かすかにサイレンが鳴っているのが聞こえると、息子は泣き出した。30分も観たから、飽きたのかもしれない。でも、タイミングが合いすぎている。息子は「何か不穏なことが起きている」ことが分かったのかもしれない。テレビを消して、窓を開け、「別の世界」へ息子を連れ出した。今は、おんぶで眠っている。

ものごころ【物心】人情・世態についての知識。
「物心(が)つく=子供が、世の中の裏表や、デリケートな人間関係・人の気持などについて分かり始める」(新明解国語辞典 第四版)

分かり始めてはいないが、察しはついている。ダンスと戦争。もしくは人の話す声のトーンや、音。その違いから、何か物事が起きたことを察している。「分かる」より「察する」方が、スピードが速い。特に赤ん坊の場合は「察し」に鋭さがある、気がする。

平和であること。踊れる世界/踊れない世界。
パレスチナ人の彼氏がいるイスラエル人ダンサーの彼女はどうしたかな。

途中までしか観ていない番組。あとで、おかあさんがみて、もりやまさんがおともだちとまたおどりはじめたら、きみにもおしえるよ。

0 件のコメント:

コメントを投稿