2015年3月7日土曜日

母の友

定期購読している雑誌『母の友』の最新号が届いた。甥っ子が妹のお腹の中にいた2007年から昨年の9月までは妹に送っていたが、私も「母」になり、妹に「今までありがとう。もう自分のために取りなよ」と言ってもらったこともあり、送り先を自分宛に変更したのである。それまでは実家に帰ることがあると、本棚にずらりと並ぶ『母の友』のバックナンバーを読むのが常だった。まとめ読みも面白かったけれど、今は月の初めに、ポストに届くのである。毎月、たのしみ。
『母の友』を読んだことで、私の漠然とした「子育て」のイメージは変わった。お母さんは、子ども(と自分)が生きる世の中のあらゆる動きに目を配らなければ、落ち着いて子育てができない、ということを思い知った。当然といえば、当然のことなのかもしれない。でも、子どものいない私には、そんなことを考えたことすらなかったのである。「子育てだけをしていて、社会と切り離されたような気がする」という声を聞くことがある。でも、本当にそうなのか。よくよく考えてみれば、子どもを持ったことで、社会とより密接になったような。自ずから、社会/世界にコネクトしていくというか、いかざるを得ないというか。少なくとも私は、息子を持って、そうなった。
『母の友』の表紙には、「幼い子を持つおかあさん、おとうさんに。子どもにかかわるすべての人に。」と書かれてある。子どもについての様々なこと、憲法の話、日本が抱える問題、戦争のこと、いくつかのエッセイ、新しい本や映画のこと。私にとって『母の友』は実用書。今年度から導入される、子ども・子育て支援新制度についても、区から配布された冊子ではイマイチよく分からず、『母の友』で記事を読んで、ようやく理解できた。今は、ゆっくり読むことはなかなか難しいけれど、いつも手元に置いて、手が空いた時にめくっている。

今月号には、写真家・長島有里枝さんの写真と文章が載っていた。プロフィールで、長島さんの新しい写真集『5 Comes After 6』が出たことを知った。息子さんとの12年間をまとめた写真集だという。これは手に入れなくては。長島さんの写真集は他にも持っていて、折々にページを開いてきた。夕方、某書店へ電話で問い合わせをすると、そこのお店では取り扱いがなかったが、わざわざ本店から取り寄せてくださるという。それで先日、息子を連れて渋谷まで買いに出かけた。
家に着くまで待ちきれず、電車の中で袋を開ける。深緑の表紙を開くと、長島さんの署名。私が手に入れたのは、219/700部。さーっと最後まで目薬を入れるように、写真を目に入れる。隣の席の中学生と思しき男の子が、盗み見していた。見て、いいよ。今度は(中学生に見えるように)、ゆっくりページをめくった。おしまいのページまでいくと、中学生はイヤホンをして目を閉じた。電車は地上へ出て、窓の外は春の多摩川。ああ、いいものを買った。

と、ここまで書いて、息子の離乳食の時間がきた。今日は、野菜スープでパンをくたくたに煮たのと、小松菜とバナナヨーグルト。食べ終わって、いつものようにマグでミルクを飲み始めた。ラジオでかかっている曲について、夫と話していて、ふと息子の方を見たら…寝ていた。こんなこと、初めてである。コンビラックからテーブルを外し、マグを手から離し(ミルクはほとんど飲んでいなかった)、エプロンを外しても、起きない。あ、咳き込んだ。でも起きない。時どき、口をくちゅくちゅとおっぱいを吸うみたいにして動かしながら、眠る息子。その傍に座って、これを書いています。ラジオからは三味線と長唄。穏やかな雨の土曜日。どれ、『母の友』の続きを読むかな。

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