2015年3月5日木曜日

コーヒー

小学4年生の時、母親に、蔵を改造したジャズ喫茶に連れて行かれた。母、当時31才。生まれ育った小さな町から出ることなく暮らしていることもあって、様々なカルチャーへの強い憧れがあった。それは娘の私から見ても分かるほどだった。母は、大好きなコーヒーを飲みながら、誰がどうとか曲のタイトルはさっぱり分からないけれど、とにかく「カッコイイ」と大好きなジャズを聴く。ピアノ教室で弾くのとはぜんぜん違う音楽。私はまだ、それが「ジャズ」という音楽だとさえ知らず。でも、すてき。母の隣でジュースを飲んだり、うちでは食べられないホットサンドを食べながら、「大人って楽しそうだなぁ。早く大人になりたいなぁ」と思っていた。お店を出る頃には、すっかり自分が「いいもの」になったような気がして、ご満悦だった。店の前に置かれた壺には水が張られ、よくアマガエルがいた。

その喫茶店では、月に一度、上映会があった。そこにも連れて行かれた。最初に観たのは『コーラスライン』(オーディションに合格した人が名前を呼ばれたと思ったら、「ごくろうさま、帰ってよろしい」と言われる、あの展開に、子どもの私はびっくりした)。それ以降、なぜか、母は私をひとりで上映会に参加させた。これは、ひとりでやっても大丈夫だと思ったのだろうか。夜、家族でごはんを食べた後、私だけが車に乗せられる。14、5人の大人に混じって、どこぞの国の実験映画とか、アンナ・パヴロワの映画(たしかパートカラーだった)などを観た。映画が終わると、大人たちはコーヒーを飲みながら、いま観たばかりの映画の話をする。私はカウンターの、店主のおばさんの近くに呼ばれて座り、トマトジュースを飲みながら、母の迎えを待ったものだった。そこは、カウンターの左端。オレンジがかった仄かな照明、左手にダイヤル式の黒い電話、その横に電話帳や雑誌が積まれている、そしてドライフラワー。カウンターの奥にはいろいろなコーヒーカップ。コーヒーってこうやって「つくるんだ」と思って、見ている私。おばさんが「お母さん、もうすぐ来るからね」と言う。よく覚えている。私なりに、けっこう緊張していたと思う。でも大人たちは、年が二桁になったばかりの私を、子ども扱いしないで、放っておいていてくれた。それがとても嬉しかった。

中学に入学して遂にコーヒー解禁。それから早26年。息子を妊娠して、妊娠に気付くより前に「なんだか飲みたくないなぁ」と思って、飲まなくなっていたコーヒー。息子へのおっぱいが夜だけになって、約1年半ぶりにコーヒーを飲む生活に戻った。と言っても、1日1杯だけど。息子がおんぶで眠ってしまったので、コーヒーを淹れた。夫が淹れてくれるような、じっくり、ではなく、ささーっと淹れたのだけど、うん、おいしい。
眠る息子をおんぶして洗濯物も干してしまった。AMラジオを聴きながら(毒蝮三太夫)、お母さんをひと休み。息子の鼻息が首に当たる。そろそろ起きるかな。今日の離乳食は、パンがゆ、にんじん、いちご入りヨーグルトの予定です。お麩の入った味噌汁もちょっと啜ってみるかね。食後のコーヒーは、まだ少し先。


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