2015年3月26日木曜日

かさかさしわしわがさがさ

歯医者へ行った。スーパーの中にある小さなクリニックである。入口のドアの向こうに、息子を抱いた夫。息子は、私がガラス越しに、離れたところにいることが不思議なようだ。緊張したような表情で、こちらを見ている。問診票の記入ボードで顔を出したり隠したりしておどけると、息子のやや硬い表情は崩れた。

とりたてて悪いところはないけれど、息子が生まれてから、フロスもできないし、総点検してもらおうと考えたのである。5年前に入れた義歯が合わなくなったこともある。担当してくださったのは、若い女性で、とても感じがいい先生。口の中をひと通り見られてから「少しお待ちくださいね」と、ひとりにされた。
やることもないし、ふと、てのひらを見る。以前はやたらと、てのひらを見ていた気がする。生命線、感情線、頭脳線、結婚線くらいしか分からない手相。それをただじっと眺めていた。本当か嘘か、手相をよく見る人は現状が不満な不幸体質、と言われたことがある。確かに、あの頃の私はハッピーな感じではなかった。電車で、家で、喫茶店で、職場で、てのひらを見つめながら、漠然と「いいことないかな」と、私は思っていた。

今、私のてのひらは、かさかさのしわしわ。爪は欠けている。「いいこと」は、起こらなそうな手である。赤ちゃんがいると、水仕事はたくさんあるし、しょっちゅうクリームは塗れないし、手が乾燥して荒れる。そのことを、息子が生まれるまで、私は想像したこともなかった。
てのひらで自分の頬を触ってみる。ざらざらまではいかないまでも、乾燥しているのは伝わる。私はこのかさかさのてのひらで、息子のほっぺを包んだりしているのか。ああ。なんだかフクザツ。お母さんの手って、もっと柔らかくて優しいイメージだよね。でも、働き者の顔をした私の手は悪くない。私の手は「おんなのひと」から「お母さん」の手になったのだな。

てのひら、甲、指、爪、手首、と、ぐるぐる見ていたら、先生が戻ってきた。私の歯全体のレントゲンを見ながら、お話ししてくださった。再びアングリ口を開けながら、急に息子に会いたくなってきた。右手で左手の指先をきゅっと掴む。右の親指で左の、親指と人差し指の指股をなぞる。がさがさ。復職して、一緒にいる時間が少なくなったら、このがさがさは減るのだろうか。

診察が終わって、息子と夫が迎えに来てくれた。「お母さん、戻ってきたよ」と夫が声をかける。かさかさの手で息子のむちむちの手を握ると、息子は笑った。前歯2本が、ずいぶん伸びてきた。その、やわらかな白。歯先の、おだやかな海面のような、小さなぎざぎざ。卵ボーロをポリポリと、いい音で食べることもできる。
かさかさーしわっしわっざぁらざら、と、ふざけた声色で言うと、息子は飛び上がらんばかりに喜んだ。

かつお節をてのひらですくい、鍋にどさっと入れる。ぱんぱんとしわを伸ばして、洗濯物を干す。雑巾をしぼって、テーブルを拭く。息子のよだれを拭い、頭をすすいと撫でる。おかげさまで、今日も、私の手は働き者です。

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