2015年3月13日金曜日

春、里芋、くるり

地球の裏側、季節が真逆の場所に住む友人からメールが届く。第二外国語同士の英語は、時に危なっかしくも、会話は成立。もともと彼は、夫の友人だったのだが、昨年来日した時にアドレスを交換して、私ともメールのやり取りをすることになったのである。その彼から届くメールの中に"Quruli"という単語が現れるようになった。そう、日本のバンド、くるり、のこと。ひらがなで目にするのと、アルファベットで目にするのでは、ずいぶん印象が違うのね。最初は、南米のプログレバンドかと思ったよ。

私はくるりの熱心なファンではない。でも、ふと、ラジオから流れるくるりの曲を歌うことができたりする。そういう人、けっこう多いんじゃないかしら(それって、実はすごいことですよね)。昨日、ラジオ(AM放送)から、くるりの『春風』という曲が流れてきた。ゆるがないしあわせが、ただほしいのです。イントロが耳に入ると、私の口からすらすらと、歌詞が出てきて驚いた。はなのなまえをひとつおぼえてあなたにおしえるんです。むかし、主に現代音楽を担当していたレコード店の同僚は「くるりとか聴いて、ふつうに「良い」って言いたいから、私は店を辞める」と言って、花屋のお嫁さんになった。

夫を見送って、くるりのベスト盤を聴きながら、台所に立つ。息子に食べさせるため、昆布とかつお節でとった出汁で里芋を煮る。おんぶして見ていた息子は眠ってしまった。小鍋から、ぬめぬめした細かい泡泡が吹き出て、『春風』が流れ始めた。


揺るがない幸せが、ただ欲しいのです
僕はあなたにそっと言います
言葉をひとつひとつ探して
花の名前をひとつ覚えてあなたに教えるんです

気づいたら雨が降ってどこかへ行って消えてゆき
手を握り確かめあったら
眠ってる間くちづけして
少しだけ灯を灯すんです

シロツメ草で編んだネックレスを
解けないように 解けないように
溶けてなくなった氷のように花の名前をひとつ忘れて
あなたを抱くのです

遠く汽車の窓辺からは春風も見えるでしょう
ここで涙が出ないのも幸せのひとつなんです
ほらまた雨が降りそうです

帰り道バスはなぜか動かなくなってしまいました
傘を探してあなたを探して
遠く汽車の窓辺からは春風も見えるでしょう


里芋をスプーンですくって、ひとくち。ほろほろと柔らかい。それを更に軽くつぶす。背中で息子の横隔膜の動きを感じながら、はなのなまえをひとつわすれて、と口ずさみ、なぜだろう、目が潤んだ。

妊娠したと知った時、嬉しいのと同時に、不安になった。私は、ずっと不安定な暮らしをしてきたので、ついに「安定した、幸せ」が訪れようとしているようで、こわかったのである。なんとなく、Karen Daltonのことを考えたりして、私もいつか何もかも捨てて出奔してしまうのではないか、と密かにおそれた。ある時、母に電話でそのことを話してみた。すると母は笑って「目の前に来た幸せは、甘んじて、受け入れてください」と言った。

目を覚ました息子に、さっきの里芋を食べさせる。初めて口にする里芋を、ちゃんと口をもぐもぐさせて、ごっくんできた。少し開けた窓から、3月の気まぐれな風が入り込み、窓辺のフリージアを揺らす。すると息子は、食べるのをはたと止めて、そちらを見る。ずいぶんと姿を現した2本の歯で、ブルーのスプーンをがじがじ噛みながら、じっと窓の方向を見ている。きっと、私たちが犬の親子なら、いま、耳がピンと立っているだろうね。

揺るがない幸せ。かつての私はそれを恐れていた。いま、私は幸せである、と思う。それは、春風を受けてそよぐベランダの洗濯物のように、いつもゆったりと揺れている。全く揺るがないよりも、多分、それがいいのだ。
揺るがない幸せが、ただ欲しいのです。ちいさく口にすると、それは意味を自ら脱ぎ捨てて、まるで呪文のように、優しく響いた。

0 件のコメント:

コメントを投稿