2015年3月12日木曜日

大変?

桃の花の蕾がふくらんで、今にもほわーっと、あたたかな息を吐きそう。そっと触れてみたら冷たかった。先日会った、ある女性のことを思い出した。

彼女は40代。お子さんが二人。「あの頃は、本当に苦しかった。やらなくちゃいけないことが多くって。誰も助けてくれなくって。いつも休みたかった。眠りたかった」と、私に言った。私と息子の方を見てはいるが、透けた私たちの向こうに、かつての自分を見ているような目をしていた。そうですか、などと返したけれど、私の返事など、どうでもいいようだった。私の息子が大泣きすると「こんなに大きな声だと、電車の中で泣かれたら困るわね。私は、外では、いつも子供が騒がないか心配で心配で」。私はそういう心配をしたことが、今のところ、ない。泣いたら、電車を降りたらいいじゃん、という考え。息子が泣いて、あからさまに嫌な顔をされたことはあるけれど、仕方ないじゃん。でも、話を聞いていたら、彼女の当時の苦しさが目の前でどんどん膨らんで、私まで飲み込まれてしまいそうだった。「大変なことがあったら、いつでも力になるよ。遠慮なく言って」と、出会って日が浅い私に、そんなことを言う。かつての自分を救いんたいんだな、と思いながら、ありがとうございます、とだけ言った。

こういうことは、息子を連れて外へ出れば、度々ある。大抵「いま何ヶ月?」から始まって、自分の、子育てで大変だった話をされる。「夜眠れる?大変でしょう」とか「保育園に入れば、熱を出すことが多くなるわよ」とか「ピアスなんてして。何でも掴むんだから。耳を引きちぎられるわよ」とか「歩くようになるとまた大変よ。追いかけて、どこまでも行かなくちゃいけないし」とか。私は薄く笑って、はぁ、とか、へぇ、とか言って、ごまかすように息子の頭をススイと撫でる。たまには、楽しい話が出ないかなぁ、と思うけれど、ほとんど出たことがない。「赤ちゃんと新米お母さん」を目にしたら、スイッチが入ったみたいに、かつての自分(子育てが大変だった頃の自分)について語り始める年上の女性たち。何事も大変なことの方が色濃く残るから、そのせいもあるかもしれない。ああ、でも、私もいつか、そうなるのだろうか。

数日前、息子を連れて出かけようとしていたら、アパートの前の駐車場で声をかけられた。「何ヶ月ですか?」。私より若い、化粧っ気のない女性。以前、赤ちゃんを抱っこして、車に乗せているのを、ベランダから見たことがあった。「うちは4ヶ月です。いいなぁ。おとなしいですね。うちはずーっと泣いていて…」と、泣き笑いのような表情で言う。一方で、こういうスイッチもある。自分と同じ、赤ちゃんを連れている人に、「よく泣く」とか「眠らない」とか話し始めるお母さん。もともと、女性って、共感することで仲良くなろうとするものだけれども。「うちも泣きますよー。でも、お座りしたりして、だんだん泣く時間は減っていっているかな。どんどん楽になりますよ」と、明るく言った。彼女は、友達もいなくて、と続けた。決して広くないアパートの部屋で、泣く赤ん坊と二人きりの夕方や雨の日は、確かに苦しい。私は幸いなことに、その時期をすでに越えた。でも今だって、例えば、体調が良くない日、何をしても泣かれると、骨がグンナリしていくように疲れてしまうことはある。4月から息子が保育園に入ったり、復職したりして、生活が変わったら、しばらくはまた大変になるだろう。でも「大変で…」とは、自分から言わないようにしたい。言いそうになったら、口に何か、おいしいものを放り込もう。

子育ては大変。でも「大変でしょう」と言われると、違う気がする。「楽しいでしょう」と言われると、それだけでもないような。だからこそ、誰かに話したいのかもしれない、思いを共有したいのかもしれない。
ところで、大変、大変、と書いてきて、ぜんたい「大変」って、どういう意味なんだ? と気になった。新明解国語辞典 第4版によると、(例文省略)

一 〔驚くべき変事の意〕その国家・社会にとっての重大事件。
二 ①事柄が重大で、とり返しがつかないことを表す。
  ②(驚くべきほど)程度が、はなはだしいことを表わす。
  ③何かをするのに一通りでない努力を要することを表わす。

「一通りではない努力を要する」。うーん、そうかもしれないけど、どうも違うなぁ。私の子育ては、ズボラだからなぁ。赤ちゃんの成長が、存在が、「驚くべきほど程度が、はなはだしい」っていうのは、あるかもしれない。確かに、子を産み育てることは、国家、社会、とりわけ個人にとって、重大事件ではある。そうね。やっぱり、子育ては、大変。

0 件のコメント:

コメントを投稿