2015年1月25日日曜日

侵食

昨晩の息子はなかなかおっぱいから離れようとはしなかった。結局12時間ほど、上半身を布団から出し、息子の方に身をよじっていたため、今も肩や背中や腰が痛い。寒い、長い夜だった。寒くて長かったのには、他にも理由がある。

隣室の鳩時計が12回鳴く前、息子のおむつを替えた。おっぱいから引き離されて、息子は激しく泣いた。そこへ夫がやってきた。夫を見ると息子は泣き止んだ。「ニュース速報が流れて、ひとり殺されたみたいだよ」夫は息子に笑顔を向けながら、その表情とは裏腹な事実を私に告げた。私が、おそろしい事件の動向を気にしていることを、夫は知っていたのである。どうなると特に予測していたわけではなかったけれど、気持ちがどーんと暗くなった。引き続き、息子におっぱいをあげながら、世界がとんでもない方向へ進む加速度が増した不安でいっぱいになった。加えて、どんな人間にも母親がいるということや、人質の方の奥様やお子さんのことを思うと、胸をえぐられるような気持ちになった。

夫からの話を受けて、「呪われた眼」という言葉を思い出した。小林紀晴さんの『メモワール 写真家・古屋誠一との二〇年』(集英社)の中で知った言葉である。小林さんは、東日本大震災の被災地に写真を撮りに行くか迷う中、ニューヨーク同時多発テロをふまえて書かれたスーザン・ソンタグ著『他者の苦痛へのまなざし』を再読し、そこで引用されているプラトンの「さあ来たぞ。お前たち呪われた眼よ。この美しい光景を思いきり楽しめ」という言葉にぶつかる。「人は誰でも〈呪われた眼〉を持っているのだとプラトンは説く。ソンタグも、それに同調する」

それで更に思い出した。初めてテレビで「いま行われている戦争」を見たのは、中学2年生だった。家族が留守の時は廊下のサッシ窓の鍵が開けられていて、そこから私は家に入った。誰もいない薄暗い家に入ると、テレビをつけた。それはイラクがクェートに進攻した映像だったか。衝撃だった。家の中の暗さと、テレビの中の灰色(砂漠での空爆だっただろうか)を制服で立ったまま見たのをよく覚えている。おそろしいものからは目が離せない。見たくない、と思っても、目はそれを望んでいない。9.11の時も、東日本大震災の時も、最近では、アフリカでの幼児虐待の映像も、まばたきも忘れて見てしまう自分。口の中でいやな味がするような嫌悪感でいっぱいになりながら、何度でも見ようとする自分。

鳩時計が1回鳴いた後、またもや夫がやってきて、事件について報道されていることを小さく教えてくれた。真っ暗なお湯が肋骨の間をぬらぬらと流れるような気持ちの悪さを感じながら、あれこれ考えていたら、うとうとした。夫らしい男(夫ではない)がタクシーでやってきた男に何かを渡す。男は息子を抱いている私に気がついて、「かわいいですね。何ヶ月ですか」と言う。「6ヶ月になったところです」と夫らしい男が答える。すると、タクシーの男は振り向いて(顔がなかった。真っ暗闇に帽子をかぶっていた)、「殺す」と低いはっきりした声で息子に言う。夫らしい男は銃で撃たれ、私は息子を抱いて民家に逃げ込む。という夢を見た。

私の不安に息子は反応したのだろうか。朝までずっとおっぱいをくわえて眠っていた。「呪われた眼」で見る世界。そこで子を育てていくということ。うまく書くことなんてできないのに、書こうとしている。

暴力は平凡な日常にも侵食する。暴力はユーモアさえ殺す。

眠る息子をおんぶして、テレビを消し、外を見ると、なんていいお天気なんだろう今日は。気持ちをいっそう強くして、今、時を過ごしています。

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